「年間第2主日」(A年)説教
2017年1月15日・加藤 英雄師


 

  ヨハネは自分の方に向かって歩いて来るイエスを見ました。ヨハネはイエスと出会っていたのです。それは、ヨハネがヨルダン川で洗礼を授けている時、イエスが目の前に来たのです。わたしに洗礼を授けてほしい。ヨハネはイエスに洗礼を授けました。洗礼の時、イエスの頭を川に沈める。
そして、頭が水から上がったとき、霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまりました。
ヨハネはそれを見たのです。そして、天からの声を聞きました。
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。」

ヨハネは言います。わたしはこの方を知らなかった。イエスとヨハネは親戚だと思います。
しかし、この方はイエスだけれど、イエスではない。イエスを知っていたが、わたしは全くイエスを知らなかった。 わたしに水で洗礼を授けるようにお遣わしになった方が言いました。
「”霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である。」
  わたしはそれを見ました。この方こそ神の子であると証しします。 イエスは神の子です。
イエスはまことの神であり、まことの人です。これがわたしたちの信仰宣言です。

そういえば、イエスはご自分を人の子と呼びます。 ヨハネの福音書3・13~15に、このような箇所があります。 「天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者は誰もいない。そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」

ヨハネ福音書9・35~37を見てみましょう。
「イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、『あなたは人の子を信じるか』と言われた。彼は答えて言った。『主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。』イエスは言われた。『あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。』」

   神様は人を造られました。神様は罪のない、全く清い、純真な人を造られました。神様から造られた人からの子。人の子。人の子に清さをみます。もちろん罪はありません。おおらかさのうちに微笑みがある。気持ちがきれいで嫌みがない。命を喜ぶ、自然を喜ぶ、友を喜ぶ。そして、毅然とした重さがある。 神の子であるイエスは、また人の子。イエスは人の子。

神様は望んでおられます。人は皆、人の子となりなさい。
  第一朗読・イザヤ書、あなたはまことのイスラエルになりなさい。神様を見つめる、神様のみことばを聞く。神様に従う。わたしはあなたを選んだ。あなたによって神がどのような方であるかが分かります。それ以上に、あなたが国々の救いの光として、神様を語り、神様のみ心を行いなさい。わたしの救いを地の果てまでもたらす者となりなさい。皆がイスラエルになる、人の子となる。

人の子:イエスに従うのです。イエスの姿を見つめます。イエスの中に入ります。祈ります。深く、深く祈ります。行います。人は皆、兄弟。与える者になります。隣人のために働きます。

ヨハネはイエスと出会った。弟子たちはイエスと出会っている。求めている人たちはイエスと出会う。しかし、自分の力で地位を築き、教養を身につけ、豊かに暮らしたい人は隣人が見えない。体が不自由な人たちが見えない。助けてくれと叫んでいる人たちが見えない。
皆が神様と出会ったらいい。神様と出会った時、わたしたちは神様から考えられないくらい大きなものをもらっているかを知ります。人の必要なもの全部、神様からもらっている。わたしたちは神様のみ心の中に生きているのです。これほどまでに与えられていることを知るのです。

人の子になる:神様の事を思います。善い心を持ちます。善い事を行います。たくさん祈ります。たくさん笑います。大いに歌います。静かに聖書を読みます。疲れたら休みます。ゆっくり、ゆっくり、友と一緒に歩きます。景色を見ながら歩きます。食べ過ぎたらいけません。飲みすぎたらいけません。


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