1597年2月5日長崎の西坂の丘で6人の宣教師と20名の日本の信徒が十字架にかけられ殺されるという事件が起きました。420年前です。ザビエルが来日しキリスト教を伝えたのが1549年です。その時信長は15歳、秀吉は13歳入、家康は7歳でした。1587年、26聖人の処刑が行われる10年前には、30万人を超える人たちが洗礼を受けていたようです。日本の人口は2000万だったそうです。たくさんの人たちがキリスト教に興味を示していた。町に出れば、町人たちが ポルトガル風の風俗を着て歩いていたり、ロザリオを首にかけたり、うろ覚えの賛美歌を歌いながら歩いています。
キリスト教を信じてはいけない。いや、キリスト教は命をかけても守りたい。今日、日本26聖人殉教者の祝いの日を迎え、キリスト教、イエス・キリストをもう一度ゆっくり思い巡らしてゆきたいと思います。
マタイの福音書は言います。「あなた方は行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。父と子と聖霊のみ名によって、洗礼を授け、あなた方に命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」(マタイ28・19-20)
世界に同じ信仰を求める。文字によって神様を表現する。守らなければならないことを記す。神学が出来ます。典礼が出来ます。祈りが教えられる。文字によって神様を知り、信仰の世界を知り、神様の世界を知るのです。キリスト教はこんなに大きな力のうちにあるのです。キリスト教が整理されて信じる者を包むのです。
しかし、一方で、ルネッサンス、人文主義が起こりました。信仰とは体験です。神様に包まれている、心を体がその力を知るのです。神様を自分の中に見出しなさい。聖書を理解するのではなく、聖書の中のイエスを感じ取りなさい。聖書はあなたに呼びかけている神様のみ心です。
神の国は生きている。神様のみ心を知り、み言葉、み心に従って歩く。神様のみ心のうちに神の国をわたしたちが造って行く。
キリストの姿を見ます。キリストの姿が道を示します。キリストは毎日、神様の喜びを語りました。神様のいつくしみ、憐みを語りました。そして何よりも、苦しんでいる人、悲しんでいる人くに慰めを語りました。
26人の殉教者のうちにトマス小崎という少年がいました。トマス小崎は役人の目を盗んで母に手紙を書くのです。
「神のお恵みに助けられながら、この手紙をしたためます。 わたしたちパードレ様以下23名の者は、列の先頭を行く制札に書かれた宣告文にありますように、長崎で十字架につけられるため、ここまで参りました。わたしのこと、また一緒にいるミゲル・父上の事、何一つご心配くださいませんように。パライソですぐお会いしましょう。お待ちしております。略。この世は、はかないものですから、パライソの満ち溢れた幸せを失わないよう、努力なさいますように。…」
都にいる母に当てたこの手紙を、トマスはとうとう出しそびれ、最期の時になって父親のミゲルに手わたしたのでした。手紙はトマスが処刑されたあと、一緒に処刑された父親の着物の袖の中から信者によって発見されました。トマス少年は、懐かしい母やまだ小さい弟たちの顔を思い浮かべて筆を走らせながら、おそらく泣いていたのでしょう。発見された時、手紙には父親のミゲルの血の跡と、たくさんの涙の跡が染みついていたと言われています。
キリスト教は人と一緒にいる、人に支えられ、支えているということを、学んだと思います。
愛することは手伝うことだ。町には食べ物がない人がたくさんいる。その人たちのためにおむすびを作ろう。病気の人、怪我をしている人がいる。その人たちのために部屋を用意しよう。休んでもらおう。 大人の人たちは神父さんたちと一緒にいると心が安らぐ笑顔が浮かんでくる。
殉教とは隣人を愛すること、隣人のために働くことです。隣人は隣にいる人ではないようです。出て歩きなさい。手助けを求めている人に必ず会います。その人が隣人です。隣人が兄弟となったらいい。兄ちゃんのためになら、弟のためなら損をして当たり前。笑顔で損することが出来ますように。
イエスの歩いた道、殉教者の歩いた道が目の前にあります。
あなたは何を見つめていますか。あなたは何に向かって歩いていますか。
今日26聖人殉教者を思い巡らしながら、歩いて行きたいと思います。