第一朗読・エゼキエル書を読みます。
主なる神は言われる。わたしはお前たちの墓を開く。
神様はわたしたちに言われているのです。お前たちから、生きている喜びの声が聞こえない。働く喜びが聞こえない。むしろ、じっと暗い諦め、悔しさ、怨念のような気配が渦巻いている。
お前たちは眠っているのか。死んでいるのか。いや、お前たちは死んでいる。お前たちは墓の中にいる。わたしはお前たちを墓から引き上げる。暗い世界から、光のある世界へ呼び戻す。自分だけの世界の戸や扉を打ち破る。
お前は父さんであるわたしを忘れている。わたしの事など考えようとしない。自分の欲求のまま生きている。わたしはお前の中に入って行く。お前たちは温かさを知る。光の世界の和やかさを知る。穏やかさ、安心を知る。わたしはお前たちに霊を注ぐ。お前たちはわたしの子となる。わたしの民となる。お前たちは命の尊さを知る。お前たちは生きる。生きる喜びを知る。
福音書を読みます。
姉妹たちがイエスの所に来て言いました。わたしたちの弟、あなたの愛するラザロが病気です。命にかかわる病気です。イエスは言われます。この病気は死で終わるものではない。神の栄光が現れるためである。姉妹、そして、そこにいた人たちはそれを聞いて安心した。イエスはなお二日間そこに滞在した。そしてイエスは言います。ユダヤに行こう。その時、愛する友ラザロが亡くなっていたことをイエスは知っていたのでしょうか。。イエスと弟子たちがユダヤに着くと、ラザロはもうすでに墓に葬られていた。マルタはイエスに言いました。あなたがここにいてくだっていたら、弟は死ななかったでしょうに。
イエスは言います。わたしは眠りに入ったラザロを起こしに来たのです。安心しなさい。あなたの弟ラザロは復活する。
世の終わりの時、わたしたちが復活することは知っています。
わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。この事を信じるか。
信じます。
イエスはラザロを思い浮かべます。語り合った友、一緒に食事をした友。イエスは涙を流された。そして、ラザロを死に至らしめた力を思います。その力を赦すことは出来ない。
イエスは墓に行きました。イエスは祈ります。父よ、わたしの祈りを聞き入れてください。わたしがあなたのみ心のうちにいることを示すことが出来ますように。周りにいる群衆が、わたしをあなたが遣わされた者であると信じさせるために。そしてイエスは大声で叫びます。ラザロ、出て来なさい。
ラザロは手と足を布で巻かれたまま出てきた。
わたしを信じる者は死んでも生きる。
イエスはラザロの死を受け止めた時、涙を流しました。命、死を超える力を持つイエスがなぜ涙を流すのですかと問われました。こんな話があります。
ある高名なお坊さんがいました。いつも祈りのうちにいます。静かな、力強いお坊さんです。
皆から尊敬を受けていました。このお坊さんに会うと、安心を感じる。穏やかさを感じる。包まれる優しい力を感じる。命の豊かさを感じる。
ある時、お坊さんが可愛がっていた青年僧が急に亡くなりました。
お寺で、質素であるけれども、心の籠った葬儀が行われました。
お坊さんは静かに涙を流されました。
お寺の中にいる人たちは言いました。「青年僧は死んだ。見えるもの、見えないもの、すべてのものは、色即是空、空即是色。人は生きる、そして死を迎える。鐘の音に諸行無常の響きを聞く方が、なぜ、その青年の死に涙するのか。」
そのお坊さんは言いました。「わたしの体がただ泣いているのだ。自然の出来事ではないか。」
人は出会って一緒に生きる者となる。友となる。一緒に生きて、一緒に歩む。兄弟となる。大きな世界の中で、見知らぬ人と、その人と出会う。一緒に生きることを喜ぶ。
出来事すべてが神様の恵みではないか。善い事、悪いこと、すべてが神様の恵み。
神様がその青年僧を呼ばれ、この世を去った。若々しいお坊さんだった。笑顔の絶えないお坊さんだった。わたしたちは言います。こんなことがあるんだ。さよならを聞きたかった。手を握り合って別れたかった。 愛する弟子が死んだ。師であるお坊さんは涙を流された。瞳から涙が流れた。
悟ったお坊さんも別れを悲しんで涙を流されるのですか。
お坊さんが言います。わたしの体が青年に別れを告げたのです。
体の自然な出来事ではないですか。
涙の中に青年との思い出が溢れ、流れているように思います。静かに別れる。自然と涙が流れてきてしまうのです。別れを静かに悲しんでいるといるのだと思います。
愛する者が死んでしまった。姉さんたちが深い、重い悲しみの中にいる。イエスはその悲しみを体で感じた。悲しみがイエスの中に入って来た。その悲しみを体で知ったのです。イエスが泣かれた。イエスの体が悲しみを現されたのです。