2003年2月1日

「羊かいと王さまによる礼拝」のテーマは福音宣教の源泉
                           
主任司祭  吉川 敦

  新しい年の日曜日はご公現祭です。クリスマスが12月25日に祝われるようになる前に、ご公現祭がクリスマスとしてお祝いされたといわれますので、今のわたしたちはクリスマスを2度祝っているわけですね。そこで、主のご降誕の神秘の二つの面、羊かいによる礼拝と王さまの礼拝を一つにして、その意味を考えたいと思います。
 さて、毎年わたくしはイエスさまのお生まれになったうまやの前に立って、一番はじめのクリスマスの夜にかけつけた人々に思いをはせるとき、いつも自分の思いこみを反省させられます。
思いこみとは、羊かいの貧しさを忘れていることであり、東方の王さまたちの捧げものも単なる贈物と考えてしまうことです。しかし、暗いうまやの中を自分の心の暗やみとし、信仰のめぐみの光を求めながら眺め直しますと、うまやを訪れたのは、羊かいと王さまという全く正反対の身分の2種類の人だけだったことに、改めて心開かれます。羊かいは何も持っていない赤貧の人々を代表し、王さまはすべてを持っている人々を代表しているのでしょうか。
 しかし、この双方が同じように天の御父から選ばれた招待客だったことは全人類にとって何となぐさめに満ちた福音(喜びの知らせ)であったことでしょう。とかく貧しさは人々をひくつにさせ、富んでいる人々をねたんだり、うらんだりしがちです。他方、権力を手にした人々は貧しい人々をバカにし、ますますその力を誇示する方向へむかいます。
 しかし、うまやにぬかずいた羊かいと王さまたちには共通したところがありました。それは両者とも幼な子のみ前に、彼らの全存在をプレゼントしたことでした。羊かいは全身で主を賛美しています。王たちは最も大切な宝物をいのちがけでプレゼントしています。両
者はその身分をこえて全身全霊で、そのすべてを捧げ礼拝しています。うまやにぬかずいて感ずる貧しさの印象をあやまらせてしまうほど、ここには本当の豊かさが支配しています。人間に本当の幸せを約束する豊かさ それは神さまのプレゼントが
幼な子だったことに象徴される無力さの逆説です。
 すなわち、人間の真の幸せは神さまのために何か出来るという幸せではないでしょうか。神さまはわたしたち人間にお友だちとしてのプレゼントを求めていらっしゃいます。
神さまの救いのわざの共労者に選ばれているというクリスマスのメッセージは、私たちになんと大きななぐさめと明日への希望を与えて下さることでしょう。たとえ絶望のドン底にある人にもその悲しみに沈める思いを、そのまま捧げることを幼な子は求めていらっしゃいます。
 ところで、最初のクリスマスから2000年余を過ぎようとしている私たちは、幼な子がもたらした福音がまだまだ「すべての民に及ぶ大きなよろこびの知らせ」(ルカ2の10)になっていないことに大きな責任を担っているということです。この責任を果たすために、もう一度幼な子イエスさまを囲むうまやでの出会いという原点に帰りたいのです。
 羊かいと王さま 持たざる者と持てる者が出会った最初の夜。その夜は、またイエスさまを介して持てる者が持たざる者への責任を誓った夜でもあったのです。私たちは持たざる者の立場に立ちたがりますが、果たしてそれでよいのでしょうか。
 最後に、うまやの光景や壁画には、うっかり忘れがちなある大切な動物のお客様がいることに気づきます。みなさん、おわかりですか。答えは牡牛さんです。なぜ牡牛さんが大切かといえば、牡牛は聖書の中でしばしば「いけにえのシンボル」です。伝統的な聖画の構図にはかいば桶に眠る幼な子の真うしろに牡牛が位置しているのは、幼な子イエスさまがあのシナイ契約が牡牛の血によって結ばれていることを思い起こし、イエスさまが「十字架のいけにえ」を捧げるお方として画いているわけです。くりかえされた牡牛の犠牲を終
わらせ、ただ一度で全てを新しくしてくださったイエスさまの十字架に感謝しているのです。
 牡牛さんの登場によって、うまやの光景は、私たちに教えているのです。そこを訪れるすべての人々は、親からいただいたいのちはただおもしろおかしく生きればよいのではなく、もう一度イエスさまを通して本当の自分に生れ変わる生き方をするように。うまやはそのための生みの苦しみの場所のシンボルなのですね。
 イエスさまによって、イエスさまとともに、イエスさまのうちに、ほんもののキリスト者に生れ変わる源泉を見出すことが出来ますように。
 今、叫ばれている福音宣教とは、この泉から豊かに汲んだ回心のさけびでなければなりません。うまやの幼な子キリストは、両手を広げて人の世の助けを求めています。その飢え渇くキリストとは、助けを求めるすべての人々のことですね。その人々に今、私たちは答えを問われています。


神よりの祝福がみなさんのご家庭の上に豊かにありますように。
合掌



花のいのち 神のいのち

           主任司祭  吉川 敦

 めぐり来るサクラの季節が、主のご復活を祝う喜びの時と重なるのは、なんとも嬉しいことです。
サクラにちなんで、永遠のいのちの恵みに、思いをはせましょう。 私にとってのサクラの魅力は、太い幹が直接、小さな花を可憐に咲かせている光景に出会うことです。幹が直接、ピンク色の花をつけることができるのは、何故でしょう。
 一年をかけて内から熟していき、開花の直前には、樹液がサクラ色に染め上がって、木全体がサクラ色に変身するため、と聞いたことがあります。 それにしても、わずか一週間の花のいのちのために、なんと長い準備の期間が必要なことでしょう。 そんなサクラの心を知らずに、人は、「美しさ」の結果に過ぎない「部分」だけに酔ってはいないでしょうか。木のいのち全体の営みに心を留めたいものです。
 イエスさまのいのちは、神様の長い救いのご計画の頂点に位置しています。それはちょうど、サクラの花のいのちが、長い月日の準備を経て、その頂点を極めるのに似ています。
  サクラの花が最高に美しく感じられるのは、人目に触れないところで、ひたすら花を咲かせる準備がされてきたことに気付く時です。
 イエスさまの復活のいのちを最高の恵みとして、喜びのうちに生かしていただけるのも、「御子の十字架の木」を生かしてくださった父なる神の、気の遠くなるような救いの計画に気付く時です。 救いの歴史を記録する聖書の分厚さは、様々な出来事を通して、わたしたち一人一人の心の中の闇の深さがどれほど凄まじいものであるかを、教えています。 そして、それ以上に、人間の罪が増すほどに、神の恵みが大きくなっていったことを、わたしたちは知ることができるのです。
 罪の歴史の頂点に十字架があり、その罪を包み込む恵みの頂点に、イエスさまのご復活があります。
 サクラの花と共に、復活のいのちの喜びをさわやかに証ししてまいりたいと思います。





2003年6月15日  三位一体の主日      アルムブルスター師 (イエズス会)

マタイによる福音(28章16節−20節)  
  『〔そのとき、〕十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。 「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」』

 アルムブルスター師 説教

 皆様、今朝、目が覚めてラジオのスイッチを入れてみたところ、今日は父の日だと言っていました。母の日というのは、これは子供の時から、ヨーロッパでも祝っていましたが、父の日は、そうそうピンと来ませんけれど。
  しかし、なるほど、今日、本所教会で、皆様にまたお会いする時に、「われらのおやじ」と言われていた下山神父様をお父さんとして、父の日にはちょうどいいなぁと思いました。そして、歴代の、この本所教会の主任司祭たちを、私どもみんなで、思い出すのにもよい日だと思います。吉川神父様も、私たちの父でしょうね。「神父」ですから・・。  まぁ、こういう時期に、例年の近況報告を皆さんにしなければならないのですが。 正直に言いますと、この1年間ほど、私が忙しい思いをしたことは生まれて初めてで、これなら、日本にいた方がよかったなぁと思ったりしていました。 去年の6月に、皆様にお話したと思いますが、また、教え始めました。
  上智大学では、5年前に定年退職しました。とうに、あなたは70歳で、教える頭も衰えているからと。まぁ、70歳になればみんな辞めるのですが、人によっては、65歳でも辞める人もいますが。  
  そこで、ひとつの仕事が終わったと思ったのですけれども。また去年から、教室に立って、神学生を相手に教えなければならなくなりました。それは、去年報告したとおりです。その内に、紛糾していたプラハ大学の神学部が徐々に収まり、自治といいましょうか、チェコの文部省が、しばらくの間、学部を立て直すために、自治の権限を取り上げていたのです。総長自身が直接に責任を取って、一連の改革を実行に移しました。それが終わって、学部の自治がまた戻って来た時に、チェコの古い、中世以来の大学のしきたりが色々あります。
  カール大学といいますが、カール4世皇帝がパパ様と一緒に、1348年に大学を創立しましたから、日本で言えば、どの時代だったでしょうか、1348年ですから・・・、これは、私より若い人に聞かなければならないですね。
  フランシスコ・ザビエルが日本に来る200年前ですね。  そういう、しきたりが古い大学にはありまして、各学部の一番上に立つ機関というのは、学部の評議会があります。それが、今度、新しく立て直された学部の制度に沿って選出されて、その評議会には、教員が8人、学生が4人選ばれました。学生が学生を選び、教員が教員を選ぶ総数12人からなるこの評議会は、学部の最高責任者なので、今度は、その評議会で部長を選出するわけです。12人の中から。そこで、このアルムブルスターは、その部長に選ばれたわけです。  今年の2月中旬に就任して以来、教えるばかりだけではなくて、部長の仕事についての、行政的な責任もまわってきました。
  しかし、皆様、4年前に東京を一時離れ、4年間の約束で、私の故郷のプラハに出かけたのは、チェコのイエズス会修道会を立て直すために、40年間弾圧されていた共産主義体制が終わって、再出発する、その手伝いに行きました。その仕事も、ずっと続いていまして、大学の方の問題は、横槍みたいに、予想しなかったものが入って来ました。その大学での仕事は、イエズス会を手伝う代わりにではなくて、その上に乗っかってしまった。ですから、私は、自分をロバのように思えてね、このロバに、いろいろな荷物を積むのですね。あれもこれも。それでも、まだ立っている。それでは、もうひとつ、と。いつ倒れるのか。不思議に今まで体がもっていますが。
 イエズス会は、それぞれの管区に分かれています。ちょうど、教会全体が教区に分かれて運営されているように。こういう大きな修道会には、また、日本管区があって、松本紘一神父様が管区長で、そのようにチェコにもイエズス会の管区があって、メンバーは僅か87人ですけれども、その管区長が、倒れてしまって、そして、腎臓ガンを患ってしまって、腎臓摘出をしました。そうすると、このアルムブルスターに管区長の代わりの仕事もさせようと。ロバは、危うく立って、一歩ずつ足を出しています。まぁ、ロバには、足が4本ありますが、杖をついている吉川神父様は3本ですね。(笑)
 しかし、皆様、ちなみに、ここにきて、御聖堂の中が綺麗になりましたね。皆様が、やはり、この本所教会をいたわっていらっしゃると、私も、非常に励まされました。
 元に戻りますと、イエズス会の仕事の上に、大学の仕事がはまってしまい、とにかく、何を差し置いても、6月の中旬になると、日本に戻ります。ヨーロッパの学年度は、秋に始まるのです。日本と違って。だから、今頃は、学年末試験と入学試験が行なわれています。部長として、入学試験に協力をと呼びかけて、自分は日本へと出かけてしまいましたから、何か、矛盾だらけですが。あと1週間してチェコに戻りますと、卒業式だの学位授与式だのいろいろと待っています。何しろ、このチェコは小さい国です。日本の十二分の一くらいの人口ですから、比較するには、これを念頭に置かなければならないけれども、大体、プラハのカール大学といえば、日本でいえば東京大学にあたるような学校ですね。だから、学部は17もありまして、総長は、卒業式や学位授与式に出ないですね。部長が立って演説をしたり、いろいろと、古いしきたりに従って、ガウンを着て、変な帽子を頭にかぶって。  それは、来週、23日、月曜日の朝早くに出かけて、それが待っています。私のことを。 でもね、喜びもあります。何とか、チェコのイエズス会も共産主義体制が終わって12年経って、その後から入ってきた若い人たちが、いろいろ、外国へ勉強に行っていたのが、そろそろ終わり、戻ってきます。だから、毎年、一人、二人と、仕事のできる、力いっぱい働ける若い人たちが出てきます。 チェコでは、昨日、チェコ人のイエズス会の若者の司祭叙階式がありました。だから、希望があります。大学の方も、おかげさまで、何とかまとまり、私どもも、15,16人の教員を新たに採用して、学生も、一応、その新体制のことを了承してくれて、秋からもうひとつ、新しい分野を開こうとしています。キリスト教芸術史というものです。
  勿論、国立大学ですから、お金は全部国から支給されるわけですが、17の学部に割り当てるのは、ほとんど学生の数によって決定されるものですから、何とかして神学部の学生の数を増やさなければならないのです。  司祭になろうとする人たちのコースの他に、宗教を教える先生になるコースがあって、あるいは、教区で例年、職員として手伝う人の教育に、今度のキリスト教芸術史というのは、何か妙な感じに聞えるかもしれませんが、実際、皆様、プラハにいらっしゃればお分かりいただけるように、このプラハだけではないのです。ヨーロッパに古くから、古代・中世からの建物が、芸術作品を抱えている聖堂、大聖堂が沢山あります。そして、それは、教会の建物ですから、教会関係者が世話をしなければならない。どういうふうに御像、絵画、建物を見る目、そして、いたわる心、適切に扱う、こういう専門的な知識はやはり必要ですから、学生が集まりそうです。
  まぁ、イエズス会と大学の話はこれ位にして。  去年の夏、8月にプラハを流れる川が大洪水を起こして、150年ぶりで、随分、被害を受けました。実はあの時、日本からも、救いの手が差しのべられて、私も、非常に嬉しく思いました。実際に、物資が送られてきたし、お祈りもたくさん頂き、私どもを支えて下さいました。だから、これはもう、日本の皆さんに、私どもの感謝を、私が代わって御礼を申し上げたい。町は、ボツボツと、その被害から立ち直りつつあります。あの時に、地下鉄のトンネルが全部、水浸しになりました。その復旧のために、半年もかかったのですけれども、今は運転されています。所々、川に近いところでは、まだある程度の家を取り壊さなければならなかったし、まだ、実際に崩れないで残るという検査を終わっていない、冬の時に、湿ったものは凍ってしまった。これは、融けたときにどうなるかがハッキリしない、まだ自分の家が建っていても戻れない人たちが少しいます。でも、それも一応、過去の出来事になりました。冬があれば春が来て、また花が咲くという、次の収穫の時が来ます。
 皆様、父の日という言葉でお話しを始めましたが、実際に、今日は三位一体の祝日です。 父と子と聖霊の唯一の神を私たちは信じています。これで、何とか、話を結びたいのですけれども。
 「三位一体」。不思議なことに、こういう難しい言葉が、日本語になってしまいましたね。というのは、これは、一昨日、ラジオのスイッチを入れて、NHKのニュースを聞いているうちに、何かの改革には、三位一体の三つの条件を満たさなければならないと。なーるほど、よく言ったなぁと思っていたのですけれども・・・。
 私どもの三位一体の奥義、意義というのは、実際に信者として生きる、その生活の中では、確かめられるでしょう。父なる神が、イエス・キリスト様を私たちのところに送って、そのイエス様のおかげで、私がまた、失われた羊で、連れ戻されて、また、愛されている神の子らになって、神様が、霊として私たちの心に住まうという、そういう救いの歴史をまとめて言う言葉として、三位一体は、実生活の中に感じていると思いますが。これは、神学的に、検討し、究明しようとすると、なかなか奥行きのある問題になります。  でもね、皆さん、ひとつだけ。  私どもの理解を、共々に深めようとする時に、私にとって、ひとつのわかり易いアプローチ・入口は、聖ヨハネの手紙にある言葉ですね。 「神は、愛である」と。「愛」という言葉は、日本語の専門家たちは、いろいろと言うのですけれど、昔の宣教師、400年前の宣教師たちは、「愛」という字を使わないで、この字は「心」を、上から下から手で掴む、執着を意味して、伝統的には、あまりいい感じは伴わないそうです。私どもは、これを、キリスト教の愛として、今は、受け取っていますから、そういうことにはこだわらないけれども。昔の宣教師たちは、「大切」と訳していたらしいです。「神は大切である」。  この「神は愛である」ということ。皆様、愛するには、二人いるのですね。二人が必要なのです。愛は、私とあなたという付き合いがあって、愛情というものが湧き出るのですね。神は唯一である。これは確かに昔からの大きな宗教にもあります。究極的には、このそういう全てを支えている根本というものは、ひとつである。神は唯一である。この唯一であるという側面だけを見る限り、神様が私どもを愛するということは、ちょっと想像し難いです。神様は絶対者である。絶対というのは、何かに対してという関係はすべて絶たれて、どれにも依存していない。絶対的な存在。だから、こういう唯一の神は、実際に、私ども一人ひとりを大切に思って、かまってくださる神様には、なかなかなりません。
  だから、古代の、キリスト教以前のギリシャの宗教には、神々がいたのですけれども、多神教、しかし、その唯一の神は、何も、私どものことを知ろうともしないし、私どもを愛する、かまう方ではなかったのです。そして、アジアでも、東洋でも、深く信心があって信仰があっても、唯一という神的な存在を信じていても、それを、ペルソナ的で、私とあなたという関係で結ばれるのは見えてこないのです。だから、仏教にしても、まぁ、仏教にも色々ありますから、一概には言えないけれど、もし唯一の神を語るなら、それが、ペルソナ的なものではない、というところで止まってしまうのです。  本当に、神が私どもを愛するというのは、これは、三位一体の神でないと、始まらない。この、絶対的な神様、唯一の神の秘密は、これは、私どもが考えようと思っても、一番大きな逆説にぶつかってしまいます。絶対という、どれにも依存していない、いかなる関係も持っていない絶対的な神が、自分自身において、完全な関係なのです。神は愛である。私ども、人間の頭で名前をつけていますけれども、父なる神が子なる神を愛して、すべて、自分であること。自分の持っているものを子なる神に渡し、そして、子なる神は、頂いたものをすべて父なる神にお返しする。この世の創造以前、神様の中に、愛の営みが神の命になっていました。こういう、唯一の絶対者である神が、実際には、自分自身の生命としては、こういう、我と汝という関係の完全な実現であるという、
  これが、私どもが三位一体の玄義、奥義そして今、イエス様から教わっています。彼は自分の生き様をもってそれを示しました。  だから、私どもが、この、神様が、私ども一人ひとりを、実際に知って、愛してくださる、かまってくださる。私どもが、この世に生まれたのは、偶然ではなくて、何か冷たい世界の中に放り出されたのではなくて、生まれるべくして生まれた私どもが、生きるように、神様は望んでいます。一人ひとり、大切に、大事にして下さる神は、これは、三位一体の神だけが出来ることなのです。この、神様をペルソナ的な相手として受け入れるためには、三位一体の信仰が土台になっています。
  だから、これで、随分、話が長くなりましたが、ごめんなさい。皆様と今度は、イエス様の招待に従って、祭壇を囲んで最後の晩餐、ミサ聖祭、イエス様の死と復活の出来事に結ばれて、私どもも、ひとつのファミリー、信者同士のイエス様の仲間、弟子たちの仲間の絆を固めましょう。                         アーメン。

 

(吉川  敦師)  皆さんお座り下さい。
 神父様、どうぞこちらに。  
  神父様は、老いて益々お忙しい役目を担っていらっしゃいます。私たちは、ただ、お祈りすることしか出来ませんけれが、先ほどのお話の中に出てきた1348年以来の、聖なる伝統のある、私たちでいうと昔の東京帝国大学に神学部が出来ているような感じの大学の、神学部長という栄誉を担われていらっしゃるわけですね。
 ですから、私たちは今、平気で話しかけていますが、考えてみれば、大変な方と話していることに、気がつかなければならないと思います。そのことを、皆さん、神父様がいらっしゃった時に、是非、思い起こして頂きたい。
 かつて、私の哲学院時代に、若きアルムブルスター神父様のお話しを聞いたとき、部屋が輝いたような記憶がございます。ある時、ドイツ人がいらして、時の院長、ゲッペット神父様は、アルムブルスター神父様に、こちらにいらっしゃいと言って、その偉い方の通訳を命じました。アルムブルスター神父様は、通訳ですから、本当はドイツ語で、その方に話さなければならないのに、その方に向かって、日本語を話していたのですね。それほどまでに、日本を思い、日本語がじぶんのものになっていました。私たちの時代に落語が解かる最初の神父様でした。
 とにかく、神父様は、大変な頭脳の持ち主で、イエズス会の頭脳流出組の一人でいらっしゃるのですね。ですから、私たちが、目の前にしている神父様は、1348年、日本の年号は、1338年が足利尊氏の征夷大将軍、室町幕府が始まる時ですから、室町時代に創立されている神学部の最高責任者ということになります。そういう神学校で、これから益々、お忙しいと思います。どうぞ、お体にお気をつけ下さって、無事にお務めを終えられて日本にたどり着くことが出来ますようにお祈りいたしております。
 それでは、教会委員長さん、お願いいたします。

(寺本委員長)  神父様、お帰りなさい。
 いつも、イースター・ご復活の頃になりますと、あと50日もすれば、神父様とお会いできるかなぁと、いつも思っております。今年も神父様の元気な姿を、またお迎えすることが出来まして、本当に、嬉しく存じております。
  そしてまた、神父様の短い滞在の期間中の主日、日曜日を私たちと共にお過ごし下さいますことを、大変感謝申し上げます。 神父様が、チェコのために、いろいろとご尽力下さいまして、チェコの教会のため、チェコの教会の礎となる神学生をご養成下さいまして、この神父様の実りが、いつか大きなものとなって、私たちのところにも伝わってくるように期待しております。
  今日は、吉川神父様をはじめ、ここにおられる大勢の本所教会の信者から、神父様に、その糧のひとつとして、感謝の気持ちを、祈りとともにお贈りしたいと思いますのでお受け下さい。

(アルムブルスター師)  どうも、私は、皆様にお会いするだけで、何か心が和みます・・・。
  私はいつも、聞かれています。「あなたは、どこの人ですか。自分の故郷は、日本ですか?チェコですか?」人生の中での長い期間は日本でしたが、どちらが第一の故郷か第二の故郷かは神様にお任せします。けれど、実際にはね、正直に話しますと、東京に居る間は、プラハは恋しくならないんです。プラハにいると、東京は恋しくならないんです。多分、この私どもが現在に生きる、いま、今日という日を、力いっぱいに生きると楽しくなりますね。過去の思いだけに生きる人は、可哀想です。過去は、あったけれども、もう無いのです。だから、どこか空(くう)の中にいる。あるいは、将来のことの大計画だけを立てて、そこに心は全部住まうとなると・・・、未来はまだ無いんです。だから、空(くう)に浮いている。あるのは、今日という日です。今日いっぱい、その日、その日を神様から頂いた大事な賜物として、力いっぱい、その今を生きる。私のことを、今、振り返ってみると、そういうことが、長い人生の中で習ったことです。  今日は、皆さんとともに、ここで、こうして心をひとつにして、祈ることが出来て、最高の喜びです。  ありがとうございました。

 

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