現在のカトリック本所教会主任司祭

パウロ 豊島 治 神父
 

 
東京教区での豊島師の略歴

司祭叙階       2005年5月
     
小金井教会助任  2005年~2007年     
成城教会助任    2007年~2008年

秋津教会主任(多摩全生園・愛徳教会を含む)
             2008年~2016年

多摩教会主任    2016年~2022年
 
本所教会主任     2022年4月~

 




教会報
第248号
教会報
第247号
教会報
第246号
教会報
第245号
教会報
第244号
教会報
第243号
教会報
第242号
教会報
第241号
教会報
第240号
教会報
第239号
教会報
第238号
教会報
第237号
教会報
第236号
教会報
第235号
教会報
第234号
教会報
第233号
教会報
第232号
教会報
第231号
教会報
第230号
教会報
第229号
教会報
第228号
教会報
第227号
教会報
第226号
教会報
第225号
教会報第253号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父
「孟冬」

十二月のご挨拶を申し上げます

先月は死者の月でしたが、その十三日、多くの作品を世に贈った谷川俊太郎さんが亡くなりました。七十年余りにわたって紡がれてきた谷川さんの作品として、生きるすばらしさを綴った「生きる」。世界中で朝を迎える様子を描いた「朝のリレー」。昭和世代までは教科書にも掲載され親しみをもっていた方もおられるでしょう。他にも絵本「スイミー」、スヌーピーが登場する漫画「ピーナッツ」の翻訳を手掛けられました。アニメ「鉄腕アトム」の主題歌も作られています。やさしいことばで難しいこと・深いことをつたえることができる谷川さんこそが本当のことばの使い手であると俵万智さんは訃報を伝えたテレビのニュースで評しています。
谷川さんが本所教会の設立時母体と同じパリ外国宣教会の一員のマイエ神父様によって設立された幼稚園ご出身だというのを最近知りました。私は、その裏にある教会に通っていました。谷川さんはカトリックメディアであるシグニス制作動画の中で「幼稚園の壁に掛け軸があった。天使が天秤をもっていて青い方に下がったらあなたは地獄。赤い方にさがったら天国にいける。というのを印象深く覚えている」と述べられました。すぐに、対談相手の神父様がきちんと説明してその二元論的な決めつけではないことの誤解をといてくださいましたが、重要な視点だったと感じました。
現在の言葉づかいを考えると、短絡的思考が蔓延している気がします。一つの問題には複数の要因があるのです。教会が「総合的なエコロジー」という言葉を用いているのも私たちに緻密に考えて協同することを促しているように感じます。
谷川さんが十二年前に発表された
「かみさまはいる いない?(あかちゃんから絵本)」では一言での決めつけを避けた総合的な神を探求する視座を感じます。また三十年前には「かみさまへのてがみ」も翻訳されています。こどもからの問いかけの形で神と人のかかわりが表現されていますが、純粋に谷川さんは日本語にされています。これはとても高度なことなのです。

十一月末に司祭研修会があり、この巻頭言の原稿は研修先で執筆しています。枢機卿任命、補佐司教誕生祝いなど司祭団で行い、枢機卿様・補佐司教様からのメッセージをいただき、ハラスメントについて学び、司祭同士で「霊による会話」などを行ったのですが、最終日のミサ説教で「二十年前の司教叙階のときに選んだ「多様性」というモットーについて今はもっと多岐にわたる意味を持っている」というような内容が印象にのこりました。

谷川さんの話にもどります。谷川さんは出身高校の生徒に向けて「あなたに」という詩を贈っています。著作権の関係で転載はできませんので検索してください。三部構成になっているのですが、そこには孤独に生きていかねばならない人間の性(さが)を示しながら愛されている励ましを感じるのです。

待降節がはじまりました。
神がひとり子イエスを私たちに贈ってくださった愛。そして人を生かすことばをもったイエスが幼子として私たちと出会ってくださったことをうれしく感じるためのよい準備となりますように。

 
教会報第252号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父
「深冷」

11月のご挨拶を申し上げます。

10月も真夏日が続き、今頃になって涼しくなりました。祭服も冬様式になるのは11月からになりました。

11月は死者の月です。
第1日曜日には教区が持っている霊園・納骨堂で午後2時からミサがささげられます。
カテドラルでは菊地枢機卿様、府中墓地ではアンドレア司教様、五日市霊園では浦野神父様(事務局長)が主司式ときいています。当該墓地の区画をお持ちの方には追悼ミサの案内が届いているかと思います。

最近、以前に主任司祭をしていた教会の信徒からの依頼で結婚式の司式をいたしました。挙式場所は偶然ですが私が洗礼を受けた教会です。リハーサルは死者の月。祭壇脇はマリーゴールドでつつまれていました。メキシコの死者の月の習慣だそうです。死者を偲びそして感謝し、生きる喜びを分かち合うことを目的と記されていました。他に飾られていたのは以下の通りです。

パペルピカド
パペルピカドは死者の日を祝う喜びと、紙を巻き上げる風を表しているとのこと。

カラベリタ(どくろ)
カラベラを模した飾りは祭壇のいたるところに置かれ、多くは着色や装飾された砂糖菓子が使われるそうです。教会の中にはありませんでしたが。カラベラは死の表象であり、「メメント・モリ」の精神を生きる者に思い出させるためだそうです。「メメント・モリ」はラテン語です。「死ぬことを覚えていなさい」という意味が直訳にちかいですが。現代では「死を意識することで今を大切に生きることができる」という解釈で用いられることが多いとのこと。

ロウソク
ロウソクの灯は「光」、信仰そして希望を示します。

初めてこの光景を見たとき私はこの違和感にびっくりしましたが、若い新郎新婦はディズニー映画「リメンバー・ミー」になじみがあるのですんなり対応できていました。メキシコで生活している方のウェブページを拝見すると、街中にカラベリタがありました。 

死者の月というと墓参と追悼という行事のことを私は思い浮かべますが、メキシコからいらした宣教師の説明をうかがって、今をどう生きるかという意識を強く感じました。これから様々なよびかけが私たちにあるでしょう。しっかり受け止めることができますように。

今年の待降節は12月1日からです。
 よい11月を過ごせますように。

パペルピカド カラベリタ(どくろ)
 洗礼堂 祭壇右  朗読台



 
教会報第251号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父
「橙秋」

十月のご挨拶を申し上げます。

秋分の日が過ぎたら急に気温が二十度前半になりました。聖堂前の桜も少し前から落葉しています。これからクリスマスにむけて道路から桜の枝をくぐって聖堂正面がはっきりみえることでしょう。体感ですが夏から急に冬を感じさせる環境です。

七月に司教団文書『「見よ、それはきわめてよかった」総合的なエコロジーへの招き』が発表されました。司教団文書は二〇〇一年に「いのちへのまなざし」を発行していますから、二十三年ぶりのよびかけです。

皆さんはこのタイトルにある「総合的エコロジー」の総合的ということばが気になるのではないでしょうか。教皇さまが以前からこの言葉を用いられるたびに、会議で「総合的に」にあたる表現をどう説明すればよいのかを苦労していると担当の大司教さまは話されていました。このタイトルには「インテグラル」と読み仮名風に文字がそえられています。初読のとき、私はコロナを経験した社会がどのような目線で次の世界をみていくかの視座を与えてくださったと感じました。この文書を読み進んでいくうちに総合的と訳されていることばが導く世界観に至るようです。

タイトルになっている「見よ、それはきわめてよかった」は聖書でつかわれている、天地創造の中で出てくることばです。豊かないのちにあふれている世界、宇宙を眺めながら、喜びにあふれている神さまの心をよみとって聖書にこのことばを載せてくださいました。

キリスト教にとっていのちは与えられた尊い賜物です。それを感謝のうちに受け止め育(はぐく)むことは人間の責任であり、人類に託された大きな使命です。日本のカトリック指導者は司教団です。司教団はこの書をとおして、すべてのいのちを守る取り組みに参加するよう広くよびかけています。
神がつくられた世界のあるべき姿の実現を目標として歩みをすすめていくために、教皇さまの回勅「ラウダート・シ」に学び、神と他者と自然とそして自分との調和ある関係を追及して生きていくための呼びかけです。

日本の教会は一九八一年に聖ヨハネ・パウロ二世教皇が来日されたことを受けて一九八四年に日本の教会の基本方針を発表しました。そしてそれを実現する道を探るために招集された福音宣教推進全国会議の動きを通して日本の社会の中で福音の光が灯され、その光に導かれ一人ひとりの人間としての尊厳が守られるよう働く決意を著しました。
「いのちへのまなざし」は五年前に改訂されています。そして七月発行のこの文書はこのことをよく深めています。今年の秋は短い期間かもしれませんが一読の書にこの二冊を選んではいかがでしょう。

見よ、それはきわめてよかった
――総合的な
インテグラルエコロジーへの招き
  いのちへのまなざし【増補新版】
 
 判型 B6
 ページ数  160 P
 価格 本体価格 800円
      (税込880円)
   判型 B6
 ページ数  168 P
 価格 本体価格 500円
      (税込550円)



 
教会報第250号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父
「夏の祈り」

暑中お見舞い申し上げます

いつものことのように感じますが酷暑です。長期間にわたっていますので皆様無理しないように。二十年前よりも平均気温は五度以上ですし、最低気温が真夏日の気温とでています。外に出る時間を考えるレベルです。暑いからせっかちになるのではなく、気持ちをクールに適応してください。

八月は平和旬間です。ご存知のとおり八〇年代に聖ヨハネ・パウロ二世教皇の来日によってこの期間がはじまりました。このとき私は未成年でしたが、記憶にあります。たしか侍者は当時神学生だった幸田司教様でした。その式典に行く途中、新宿と有楽町のあたりの高架下にはうずくまるひとを見かけたものです。駅前では軍歌を大音響で流す車をみました。
傷痍軍人という言葉をご存知でしょうか。戦争によって傷痍を負った兵士のことです。足を引きずりながら決して清潔とはいえない毛布をまとい往来していました。戦中は名誉の負傷とされましたが、ポツダム宣言後恩給が打ち切られその後支援の改善ははじまりましたが、まだ問題があるときいています。
その数日前、今は亡き西川神父様と(当時通っていた教会の司祭でいらっしゃいました)新宿のガード下でうずくまっていた方から手招きされました。神父様と目でどうしようか確認して、二人で近づいたのでした。服装はなんとなくカーキ色でなにかの制服かなとそのとき思いました。くしゃくしゃの紙をニコニコしながら差出してくださり、神父様が広げて見せてくれました。そこには「恩給証書」とあり、そのうえに赤い斜線がされており、消印がおされていました。何を意味しているのかわかりませんでしたが、期待が成就しなかった感じが伝わり、切ない気持ちになって二人無言で歩いたのでした。あのニコニコは証書がもらえたからではなく、足を止めた二人がきたということの表情でしょう。
そんな当時だからこそ、聖ヨハネ・パウロ二世教皇が一生懸命さを感じる日本語で「戦争は人間の仕業です。戦争は死です」とマイクにのって広まったお気持ちは確かに胸をうちました。
この平和アピールから四十三年を経た今年の菊地大司教よる司教協議会長の平和旬間にあたっての談話『無関心はいのちを奪います』の最後の段落に記されています。
『わたしたちは過去の過ちに謙遜に学び、その過ちを繰り返さないように努めることができるはずです。幾たびも目撃してきたいのちに対する暴力を止めることができるのは、わたしたち自身です。』
この数年教区の平和旬間の担い手の委員会は解散され、新しく結成された「カリタス東京」という団体によってアレンジがされています。ですから各教会の持ち回りの企画実行はなくなり楽にはなりました。でも誰かひとりが平和旬間の幟をたてただけでは無関心が広がるスピードが速まるだけです。
今年から本所教会として石原三丁目(新橋行き)バス停裏にある『殉職慰霊碑』に終戦の日、すなわち聖母被昇天のミサ後にそこに赴いて追悼の祈りを行います。教会周辺が焼け野原になったのでたくさん祈りをささげる場所があるのは承知していますが、これから恒久的に聖母被昇天ミサ後に祈りにいくことを評議会で認めてもらいました。
三月十日の東京大空襲があったとき十五歳を最年少とする電話交換手三十一名は「なにがあってもブレスト(送受器)を手放してはならない」という命令をもとに炎の中にて死亡しました。この碑は二度とこのような悲劇の起こらないことを祈願して昭和三十三年に建立されました。教会にいらっしゃる方が利用されるバス停のすぐ裏です。ご一緒に祈れれば幸いです。無関心の反対語は関心をもつことですから。



 
教会報第249号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父
「元主任来訪」

七月のご挨拶を申し上げます。

気温・気圧の変化で体調管理が難しくなりました。ご自愛ください。とはいえ、七月にも主日があり、ミサに招かれています。体調を整えて聖堂に集い、賛美と感謝をささげましょう。

六月三十日に築地教会は百五十周年記念ミサ。大司教様司式です。現在の主任司祭はレオ・シューマッカ神父様です。
九月十六日には神田教会の百五十周年記念ミサが行われます。現在の主任司祭は立花神父様です。

さて、五年後には本所教会もこの百五十周年の番がやってきます。意識をもって取り組んでいこうと思います。しかし百五十年は長い歴史です。四半世紀である二十五周年であれば設立創生期の方のお話がきけますが、一世紀半となると何を準備すれば良いかわかりません。本所教会が百五十周年となる二〇二九年に私が主任司祭でいるかもわかりません。ということになると長い時間をかけての準備を必要とする案件の責任が取れません。そこでこれからの四年間、本所教会で過ごした経験のある司祭による主日ミサ司式を企画してみました。原則毎年七月に行なおうかと思います。

今回来てくださるのは加藤英雄神父様です。二〇〇六年にいらして隣にある本所白百合幼稚園の園長を兼務された主任司祭でした。主任司祭と幼稚園長という役務はとても多岐な配慮が必要だったのではないかと拝察します。
カラオケ好き。歌好きというのも健在です。

七月二十一日と二十八日の二回、本所教会の十時ミサに来ていただくことにしました。なぜ二回来ていただくのか、それは加藤神父様に会う機会を多く持つためでもありますが、二十八日は隣の本所白百合幼稚園児のために共同祈願で祈ることになったためです。これは今年教皇さまが宣言された「世界こどもの日」の意向に合わせ日程調整して行われるものです。
どうかこの日だけでなく幼稚園児のために、お祈りください。

私は加藤神父様がかつて司牧しておられた秋津教会に赴任したことがあります(今年加藤神父様は、およそ二十年ぶりに秋津教会に戻り協力司祭をされています)。加藤神父様のファンも多く、教会遠足を加藤神父様のいらした鴨川教会に設定したくらいです。大型バス二台で二時間半かけてきた私たちを高速出口あたりにて自ら出迎え、バスの速さに合わせて走り鴨川教会まで道案内。ミサでは笑顔で「ありがとう。ありがとう。」と呼びかけておられ、それも穏やかな表情でした。バスが退屈でぐずっていたこどもたちもキョトンとしながら静かにミサにあずかっていました。加藤神父様の司式のミサの雰囲気はまたあの時を思い出すこともあるでしょう。

加藤神父様が本所教会にいらっしゃる日は学校の夏休みシーズン。子供や青年のキャンプで不在となる司祭の助っ人として他の教会でミサをささげるため、当日私は加藤神父様と共同司式できませんが、歴史の中で示される神さまのわざが思い起こされるひと時となりますよう願っています。








 

ページのトップに戻る


 

講話集
 

第9代 カトリック本所教会主任司祭
酒井 俊雄 神父の主日のお説教集

(2010年2月21日から2011年4月17日まで掲載)

 

四旬節講話  2008年2月17日
『十字架―キリスト教のトレードマーク』

講師 国井 健宏師(御受難修道会)

 
クリックしてくださいPDF書類で開きます
PDF書類をご覧いただくには、Adobe Readerが必要です。下のアイコンをクリックし、無料配布されているAdobe Readerをダウンロードするか、コンピューター関連雑誌の付録CD-ROMなどで入手し、インストールしてください。
(注:接続回線の状況によっては時間がかかる場合があります。)
 
日本二十六聖人殉教者祭   2007年2月4日 カトリック本所教会 
前田万葉師
(カトリック中央協議会事務局長)
講演の記録はここをクリックしてください
 

日本二十六聖人殉教者祭   2006年2月5日 カトリック本所教会 
マルコ・アントニオ・マルチネス・フランコ
(グアダルペ宣教会・千葉寺教会)
講演の記録はここをクリックしてください

 
日本二十六聖人殉教者祭   2005年2月5日 カトリック本所教会 
高松教区 溝部脩 司教
講演の記録はここをクリックしてください
 
日本二十六聖人殉教者祭   2003年2月2日 カトリック本所教会 
日本二十六聖人記念館・館長 結城 了悟 師(イ エ ズ ス 会)
講演の記録はここをクリックしてください
 

 

ホームへ戻る ページのトップに戻る

お問い合わせ 〒130-0011 東京都墨田区石原4-37-2 TEL:03-3623-6753 FAX:03-5610-1732