現在のカトリック本所教会主任司祭 パウロ 豊島 治 神父
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東京教区での豊島師の略歴 |
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司祭叙階 2005年5月 | ||
小金井教会助任 2005年~2007年 | ||
成城教会助任 2007年~2008年 | ||
秋津教会主任(多摩全生園・愛徳教会を含む) |
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多摩教会主任 2016年~2022年 | ||
本所教会主任 2022年4月~ | ||
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教会報第253号 巻頭言 パウロ 豊島 治 神父 |
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「孟冬」 十二月のご挨拶を申し上げます 先月は死者の月でしたが、その十三日、多くの作品を世に贈った谷川俊太郎さんが亡くなりました。七十年余りにわたって紡がれてきた谷川さんの作品として、生きるすばらしさを綴った「生きる」。世界中で朝を迎える様子を描いた「朝のリレー」。昭和世代までは教科書にも掲載され親しみをもっていた方もおられるでしょう。他にも絵本「スイミー」、スヌーピーが登場する漫画「ピーナッツ」の翻訳を手掛けられました。アニメ「鉄腕アトム」の主題歌も作られています。やさしいことばで難しいこと・深いことをつたえることができる谷川さんこそが本当のことばの使い手であると俵万智さんは訃報を伝えたテレビのニュースで評しています。 十一月末に司祭研修会があり、この巻頭言の原稿は研修先で執筆しています。枢機卿任命、補佐司教誕生祝いなど司祭団で行い、枢機卿様・補佐司教様からのメッセージをいただき、ハラスメントについて学び、司祭同士で「霊による会話」などを行ったのですが、最終日のミサ説教で「二十年前の司教叙階のときに選んだ「多様性」というモットーについて今はもっと多岐にわたる意味を持っている」というような内容が印象にのこりました。 谷川さんの話にもどります。谷川さんは出身高校の生徒に向けて「あなたに」という詩を贈っています。著作権の関係で転載はできませんので検索してください。三部構成になっているのですが、そこには孤独に生きていかねばならない人間の性(さが)を示しながら愛されている励ましを感じるのです。 待降節がはじまりました。 | |||||||||
教会報第252号 巻頭言 パウロ 豊島 治 神父 |
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「深冷」 11月のご挨拶を申し上げます。 10月も真夏日が続き、今頃になって涼しくなりました。祭服も冬様式になるのは11月からになりました。 最近、以前に主任司祭をしていた教会の信徒からの依頼で結婚式の司式をいたしました。挙式場所は偶然ですが私が洗礼を受けた教会です。リハーサルは死者の月。祭壇脇はマリーゴールドでつつまれていました。メキシコの死者の月の習慣だそうです。死者を偲びそして感謝し、生きる喜びを分かち合うことを目的と記されていました。他に飾られていたのは以下の通りです。 カラベリタ(どくろ) 死者の月というと墓参と追悼という行事のことを私は思い浮かべますが、メキシコからいらした宣教師の説明をうかがって、今をどう生きるかという意識を強く感じました。これから様々なよびかけが私たちにあるでしょう。しっかり受け止めることができますように。 今年の待降節は12月1日からです。
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教会報第251号 巻頭言 パウロ 豊島 治 神父 |
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「橙秋」 十月のご挨拶を申し上げます。 秋分の日が過ぎたら急に気温が二十度前半になりました。聖堂前の桜も少し前から落葉しています。これからクリスマスにむけて道路から桜の枝をくぐって聖堂正面がはっきりみえることでしょう。体感ですが夏から急に冬を感じさせる環境です。 七月に司教団文書『「見よ、それはきわめてよかった」総合的なエコロジーへの招き』が発表されました。司教団文書は二〇〇一年に「いのちへのまなざし」を発行していますから、二十三年ぶりのよびかけです。 皆さんはこのタイトルにある「総合的エコロジー」の総合的ということばが気になるのではないでしょうか。教皇さまが以前からこの言葉を用いられるたびに、会議で「総合的に」にあたる表現をどう説明すればよいのかを苦労していると担当の大司教さまは話されていました。このタイトルには「インテグラル」と読み仮名風に文字がそえられています。初読のとき、私はコロナを経験した社会がどのような目線で次の世界をみていくかの視座を与えてくださったと感じました。この文書を読み進んでいくうちに総合的と訳されていることばが導く世界観に至るようです。 タイトルになっている「見よ、それはきわめてよかった」は聖書でつかわれている、天地創造の中で出てくることばです。豊かないのちにあふれている世界、宇宙を眺めながら、喜びにあふれている神さまの心をよみとって聖書にこのことばを載せてくださいました。 キリスト教にとっていのちは与えられた尊い賜物です。それを感謝のうちに受け止め育(はぐく)むことは人間の責任であり、人類に託された大きな使命です。日本のカトリック指導者は司教団です。司教団はこの書をとおして、すべてのいのちを守る取り組みに参加するよう広くよびかけています。 日本の教会は一九八一年に聖ヨハネ・パウロ二世教皇が来日されたことを受けて一九八四年に日本の教会の基本方針を発表しました。そしてそれを実現する道を探るために招集された福音宣教推進全国会議の動きを通して日本の社会の中で福音の光が灯され、その光に導かれ一人ひとりの人間としての尊厳が守られるよう働く決意を著しました。
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教会報第250号 巻頭言 パウロ 豊島 治 神父 |
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「夏の祈り」 暑中お見舞い申し上げます いつものことのように感じますが酷暑です。長期間にわたっていますので皆様無理しないように。二十年前よりも平均気温は五度以上ですし、最低気温が真夏日の気温とでています。外に出る時間を考えるレベルです。暑いからせっかちになるのではなく、気持ちをクールに適応してください。 八月は平和旬間です。ご存知のとおり八〇年代に聖ヨハネ・パウロ二世教皇の来日によってこの期間がはじまりました。このとき私は未成年でしたが、記憶にあります。たしか侍者は当時神学生だった幸田司教様でした。その式典に行く途中、新宿と有楽町のあたりの高架下にはうずくまるひとを見かけたものです。駅前では軍歌を大音響で流す車をみました。
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教会報第249号 巻頭言 パウロ 豊島 治 神父 |
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「元主任来訪」 七月のご挨拶を申し上げます。 気温・気圧の変化で体調管理が難しくなりました。ご自愛ください。とはいえ、七月にも主日があり、ミサに招かれています。体調を整えて聖堂に集い、賛美と感謝をささげましょう。 六月三十日に築地教会は百五十周年記念ミサ。大司教様司式です。現在の主任司祭はレオ・シューマッカ神父様です。 さて、五年後には本所教会もこの百五十周年の番がやってきます。意識をもって取り組んでいこうと思います。しかし百五十年は長い歴史です。四半世紀である二十五周年であれば設立創生期の方のお話がきけますが、一世紀半となると何を準備すれば良いかわかりません。本所教会が百五十周年となる二〇二九年に私が主任司祭でいるかもわかりません。ということになると長い時間をかけての準備を必要とする案件の責任が取れません。そこでこれからの四年間、本所教会で過ごした経験のある司祭による主日ミサ司式を企画してみました。原則毎年七月に行なおうかと思います。 今回来てくださるのは加藤英雄神父様です。二〇〇六年にいらして隣にある本所白百合幼稚園の園長を兼務された主任司祭でした。主任司祭と幼稚園長という役務はとても多岐な配慮が必要だったのではないかと拝察します。 七月二十一日と二十八日の二回、本所教会の十時ミサに来ていただくことにしました。なぜ二回来ていただくのか、それは加藤神父様に会う機会を多く持つためでもありますが、二十八日は隣の本所白百合幼稚園児のために共同祈願で祈ることになったためです。これは今年教皇さまが宣言された「世界こどもの日」の意向に合わせ日程調整して行われるものです。 私は加藤神父様がかつて司牧しておられた秋津教会に赴任したことがあります(今年加藤神父様は、およそ二十年ぶりに秋津教会に戻り協力司祭をされています)。加藤神父様のファンも多く、教会遠足を加藤神父様のいらした鴨川教会に設定したくらいです。大型バス二台で二時間半かけてきた私たちを高速出口あたりにて自ら出迎え、バスの速さに合わせて走り鴨川教会まで道案内。ミサでは笑顔で「ありがとう。ありがとう。」と呼びかけておられ、それも穏やかな表情でした。バスが退屈でぐずっていたこどもたちもキョトンとしながら静かにミサにあずかっていました。加藤神父様の司式のミサの雰囲気はまたあの時を思い出すこともあるでしょう。 加藤神父様が本所教会にいらっしゃる日は学校の夏休みシーズン。子供や青年のキャンプで不在となる司祭の助っ人として他の教会でミサをささげるため、当日私は加藤神父様と共同司式できませんが、歴史の中で示される神さまのわざが思い起こされるひと時となりますよう願っています。
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第9代 カトリック本所教会主任司祭 (2010年2月21日から2011年4月17日まで掲載) |
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日本26聖人殉教者祭 2008年2月3日
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日本二十六聖人殉教者祭 2007年2月4日 カトリック本所教会 前田万葉師 (カトリック中央協議会事務局長) 講演の記録はここをクリックしてください |
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日本二十六聖人殉教者祭 2006年2月5日 カトリック本所教会 |
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