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教会報第252号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「深冷」
11月のご挨拶を申し上げます。
10月も真夏日が続き、今頃になって涼しくなりました。祭服も冬様式になるのは11月からになりました。
11月は死者の月です。
第1日曜日には教区が持っている霊園・納骨堂で午後2時からミサがささげられます。
カテドラルでは菊地枢機卿様、府中墓地ではアンドレア司教様、五日市霊園では浦野神父様(事務局長)が主司式ときいています。当該墓地の区画をお持ちの方には追悼ミサの案内が届いているかと思います。
最近、以前に主任司祭をしていた教会の信徒からの依頼で結婚式の司式をいたしました。挙式場所は偶然ですが私が洗礼を受けた教会です。リハーサルは死者の月。祭壇脇はマリーゴールドでつつまれていました。メキシコの死者の月の習慣だそうです。死者を偲びそして感謝し、生きる喜びを分かち合うことを目的と記されていました。他に飾られていたのは以下の通りです。
パペルピカド
パペルピカドは死者の日を祝う喜びと、紙を巻き上げる風を表しているとのこと。
カラベリタ(どくろ)
カラベラを模した飾りは祭壇のいたるところに置かれ、多くは着色や装飾された砂糖菓子が使われるそうです。教会の中にはありませんでしたが。カラベラは死の表象であり、「メメント・モリ」の精神を生きる者に思い出させるためだそうです。「メメント・モリ」はラテン語です。「死ぬことを覚えていなさい」という意味が直訳にちかいですが。現代では「死を意識することで今を大切に生きることができる」という解釈で用いられることが多いとのこと。
ロウソク
ロウソクの灯は「光」、信仰そして希望を示します。
初めてこの光景を見たとき私はこの違和感にびっくりしましたが、若い新郎新婦はディズニー映画「リメンバー・ミー」になじみがあるのですんなり対応できていました。メキシコで生活している方のウェブページを拝見すると、街中にカラベリタがありました。
死者の月というと墓参と追悼という行事のことを私は思い浮かべますが、メキシコからいらした宣教師の説明をうかがって、今をどう生きるかという意識を強く感じました。これから様々なよびかけが私たちにあるでしょう。しっかり受け止めることができますように。
今年の待降節は12月1日からです。
よい11月を過ごせますように。
パペルピカド |
カラベリタ(どくろ) |
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洗礼堂 |
祭壇右 |
朗読台 |
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教会報第251号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「橙秋」
十月のご挨拶を申し上げます。
秋分の日が過ぎたら急に気温が二十度前半になりました。聖堂前の桜も少し前から落葉しています。これからクリスマスにむけて道路から桜の枝をくぐって聖堂正面がはっきりみえることでしょう。体感ですが夏から急に冬を感じさせる環境です。
七月に司教団文書『「見よ、それはきわめてよかった」総合的なエコロジーへの招き』が発表されました。司教団文書は二〇〇一年に「いのちへのまなざし」を発行していますから、二十三年ぶりのよびかけです。
皆さんはこのタイトルにある「総合的エコロジー」の総合的ということばが気になるのではないでしょうか。教皇さまが以前からこの言葉を用いられるたびに、会議で「総合的に」にあたる表現をどう説明すればよいのかを苦労していると担当の大司教さまは話されていました。このタイトルには「インテグラル」と読み仮名風に文字がそえられています。初読のとき、私はコロナを経験した社会がどのような目線で次の世界をみていくかの視座を与えてくださったと感じました。この文書を読み進んでいくうちに総合的と訳されていることばが導く世界観に至るようです。
タイトルになっている「見よ、それはきわめてよかった」は聖書でつかわれている、天地創造の中で出てくることばです。豊かないのちにあふれている世界、宇宙を眺めながら、喜びにあふれている神さまの心をよみとって聖書にこのことばを載せてくださいました。
キリスト教にとっていのちは与えられた尊い賜物です。それを感謝のうちに受け止め育(はぐく)むことは人間の責任であり、人類に託された大きな使命です。日本のカトリック指導者は司教団です。司教団はこの書をとおして、すべてのいのちを守る取り組みに参加するよう広くよびかけています。
神がつくられた世界のあるべき姿の実現を目標として歩みをすすめていくために、教皇さまの回勅「ラウダート・シ」に学び、神と他者と自然とそして自分との調和ある関係を追及して生きていくための呼びかけです。
日本の教会は一九八一年に聖ヨハネ・パウロ二世教皇が来日されたことを受けて一九八四年に日本の教会の基本方針を発表しました。そしてそれを実現する道を探るために招集された福音宣教推進全国会議の動きを通して日本の社会の中で福音の光が灯され、その光に導かれ一人ひとりの人間としての尊厳が守られるよう働く決意を著しました。
「いのちへのまなざし」は五年前に改訂されています。そして七月発行のこの文書はこのことをよく深めています。今年の秋は短い期間かもしれませんが一読の書にこの二冊を選んではいかがでしょう。
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教会報第250号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「夏の祈り」
暑中お見舞い申し上げます
いつものことのように感じますが酷暑です。長期間にわたっていますので皆様無理しないように。二十年前よりも平均気温は五度以上ですし、最低気温が真夏日の気温とでています。外に出る時間を考えるレベルです。暑いからせっかちになるのではなく、気持ちをクールに適応してください。
八月は平和旬間です。ご存知のとおり八〇年代に聖ヨハネ・パウロ二世教皇の来日によってこの期間がはじまりました。このとき私は未成年でしたが、記憶にあります。たしか侍者は当時神学生だった幸田司教様でした。その式典に行く途中、新宿と有楽町のあたりの高架下にはうずくまるひとを見かけたものです。駅前では軍歌を大音響で流す車をみました。
傷痍軍人という言葉をご存知でしょうか。戦争によって傷痍を負った兵士のことです。足を引きずりながら決して清潔とはいえない毛布をまとい往来していました。戦中は名誉の負傷とされましたが、ポツダム宣言後恩給が打ち切られその後支援の改善ははじまりましたが、まだ問題があるときいています。
その数日前、今は亡き西川神父様と(当時通っていた教会の司祭でいらっしゃいました)新宿のガード下でうずくまっていた方から手招きされました。神父様と目でどうしようか確認して、二人で近づいたのでした。服装はなんとなくカーキ色でなにかの制服かなとそのとき思いました。くしゃくしゃの紙をニコニコしながら差出してくださり、神父様が広げて見せてくれました。そこには「恩給証書」とあり、そのうえに赤い斜線がされており、消印がおされていました。何を意味しているのかわかりませんでしたが、期待が成就しなかった感じが伝わり、切ない気持ちになって二人無言で歩いたのでした。あのニコニコは証書がもらえたからではなく、足を止めた二人がきたということの表情でしょう。
そんな当時だからこそ、聖ヨハネ・パウロ二世教皇が一生懸命さを感じる日本語で「戦争は人間の仕業です。戦争は死です」とマイクにのって広まったお気持ちは確かに胸をうちました。
この平和アピールから四十三年を経た今年の菊地大司教よる司教協議会長の平和旬間にあたっての談話『無関心はいのちを奪います』の最後の段落に記されています。
『わたしたちは過去の過ちに謙遜に学び、その過ちを繰り返さないように努めることができるはずです。幾たびも目撃してきたいのちに対する暴力を止めることができるのは、わたしたち自身です。』
この数年教区の平和旬間の担い手の委員会は解散され、新しく結成された「カリタス東京」という団体によってアレンジがされています。ですから各教会の持ち回りの企画実行はなくなり楽にはなりました。でも誰かひとりが平和旬間の幟をたてただけでは無関心が広がるスピードが速まるだけです。
今年から本所教会として石原三丁目(新橋行き)バス停裏にある『殉職慰霊碑』に終戦の日、すなわち聖母被昇天のミサ後にそこに赴いて追悼の祈りを行います。教会周辺が焼け野原になったのでたくさん祈りをささげる場所があるのは承知していますが、これから恒久的に聖母被昇天ミサ後に祈りにいくことを評議会で認めてもらいました。
三月十日の東京大空襲があったとき十五歳を最年少とする電話交換手三十一名は「なにがあってもブレスト(送受器)を手放してはならない」という命令をもとに炎の中にて死亡しました。この碑は二度とこのような悲劇の起こらないことを祈願して昭和三十三年に建立されました。教会にいらっしゃる方が利用されるバス停のすぐ裏です。ご一緒に祈れれば幸いです。無関心の反対語は関心をもつことですから。
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教会報第249号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「元主任来訪」
七月のご挨拶を申し上げます。
気温・気圧の変化で体調管理が難しくなりました。ご自愛ください。とはいえ、七月にも主日があり、ミサに招かれています。体調を整えて聖堂に集い、賛美と感謝をささげましょう。
六月三十日に築地教会は百五十周年記念ミサ。大司教様司式です。現在の主任司祭はレオ・シューマッカ神父様です。
九月十六日には神田教会の百五十周年記念ミサが行われます。現在の主任司祭は立花神父様です。
さて、五年後には本所教会もこの百五十周年の番がやってきます。意識をもって取り組んでいこうと思います。しかし百五十年は長い歴史です。四半世紀である二十五周年であれば設立創生期の方のお話がきけますが、一世紀半となると何を準備すれば良いかわかりません。本所教会が百五十周年となる二〇二九年に私が主任司祭でいるかもわかりません。ということになると長い時間をかけての準備を必要とする案件の責任が取れません。そこでこれからの四年間、本所教会で過ごした経験のある司祭による主日ミサ司式を企画してみました。原則毎年七月に行なおうかと思います。
今回来てくださるのは加藤英雄神父様です。二〇〇六年にいらして隣にある本所白百合幼稚園の園長を兼務された主任司祭でした。主任司祭と幼稚園長という役務はとても多岐な配慮が必要だったのではないかと拝察します。
カラオケ好き。歌好きというのも健在です。
七月二十一日と二十八日の二回、本所教会の十時ミサに来ていただくことにしました。なぜ二回来ていただくのか、それは加藤神父様に会う機会を多く持つためでもありますが、二十八日は隣の本所白百合幼稚園児のために共同祈願で祈ることになったためです。これは今年教皇さまが宣言された「世界こどもの日」の意向に合わせ日程調整して行われるものです。
どうかこの日だけでなく幼稚園児のために、お祈りください。
私は加藤神父様がかつて司牧しておられた秋津教会に赴任したことがあります(今年加藤神父様は、およそ二十年ぶりに秋津教会に戻り協力司祭をされています)。加藤神父様のファンも多く、教会遠足を加藤神父様のいらした鴨川教会に設定したくらいです。大型バス二台で二時間半かけてきた私たちを高速出口あたりにて自ら出迎え、バスの速さに合わせて走り鴨川教会まで道案内。ミサでは笑顔で「ありがとう。ありがとう。」と呼びかけておられ、それも穏やかな表情でした。バスが退屈でぐずっていたこどもたちもキョトンとしながら静かにミサにあずかっていました。加藤神父様の司式のミサの雰囲気はまたあの時を思い出すこともあるでしょう。
加藤神父様が本所教会にいらっしゃる日は学校の夏休みシーズン。子供や青年のキャンプで不在となる司祭の助っ人として他の教会でミサをささげるため、当日私は加藤神父様と共同司式できませんが、歴史の中で示される神さまのわざが思い起こされるひと時となりますよう願っています。
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教会報第248号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「雨月」
六月の挨拶を申し上げます。
復活節を終え、キリストの聖体そして年間の暦へと移ります。
東京教区は感染症に関しての一切の制限解除の通達を出されました。通達をうけて本所教会での対応も正副会長・評議会で話し合われました。本誌に別掲載しています。引き続き、お願いという形です。
およそ三年。振り返るとこの長い間、カトリック教会は実に多くの工夫をもって乗り越えてきました。関口での主日ミサ配信も今年の三月中旬まで行ってくださいましたし、週刊大司教の毎週配信も毎回千人以上が閲覧しています。教会活動がほぼできない中で私が関わった災害対応チームによる「オンラインパネルディスカッション」もSNSを使ったインターネット企画でした。
福者カルロ・アクティスをご存知でしょうか。一五歳で帰天した信徒で一九九一年生まれです。教皇さまは先月五月二十三日、列聖省長官とお会いになり、この福者の列聖に必要な教令の公布を認可されたとバチカンニュースが報道しました。以下彼の紹介です。
『カルロは英国生まれ、同月受洗。数年後イタリア・ミラノに引っ越す。家族は熱心な信者ではなかったが、子どものころから神に興味を示し、両親は少しずつ信仰を育てた。七歳で初聖体を志願し実現。凧揚げが好きで自然と動物を愛する、サッカーも楽しみプレステで遊ぶ。コンピューターに長け、年齢よりも高度な技術をもっていた。しかし聖体の中のイエスを何よりも愛していた。カルロは毎日ミサに通い、ミサの前か後に聖体の前で礼拝していた。ノートには、「聖体は天国への高速道路である。私たちは二千年前にイエスと共に生きた使徒たちよりもラッキーである。イエスに会うために、教会に入るだけでオーケーだから!」「だからエルサレムは、すぐ隣にあるのだ。」しばしばゆるしの秘跡を受け言った。「気球で旅するには、重しを切り離す。霊魂も天に昇るために、重しを捨てる。つまり、小罪を取り除く必要がある。」毎日、聖母マリアにロザリオを唱えた。「マリア様は私の人生で唯一の女性です。」と。カルロは決して信仰を隠さなかった。友達を誘って、ミサに行き神の元に帰ろうとした。ノートには「悲しみとは自分自身に視線を向けること。幸福とは、視線を神に向けること。回心とは視線を
下から上に移すこと。ただそれだけ。上(神)を見るだけで十分。」質素な生活をした。彼はコンピューターの知識を宣教のために使うと決め聖体の秘跡について三年の準備を
してネット展覧会をひらいた。「教会を批判することは自分自身を批判すること」が口癖。二〇〇六年白血病と診断。「病気の苦しみを神に捧げます。煉獄ではなくまっすぐ天国に行くため。」』
教皇さまは勧告「キリストは生きている」のなかで彼を紹介しています。彼が作成した聖体に関するウエブはアメリカだけでも一万の教会で開催。ほかファティマ、ルルド、グアダラハラでも開催されたとあります。
今月はキリストの聖体からはじめる「イエスのみ心」の月。まっすぐに生きてゆけますように。
・福者カルロ関連動画・
https://www.youtube.com/watch?v=N2QYA7BiSa8
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教会報第247号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「シノドス的本所教会」
五月の挨拶を申し上げます。
聖母月です。
教会にも旅行中の方々の往来がみられます。幼稚園のセキュリティの関係でしょうか、中には入らなくても、三つ目通りに面している門横の聖母子像に大きなカバンを置いて膝つき懸命に長時間祈っている方々をよくみかけます。
屋内にあるマリア像に対して、屋外にあるご像は外向きに備えらえているイメージがあります。
昔、叙階前に長崎教区の青砂ケ浦教会で主日のミサで奉仕をしました。その教会の聖母像も海を向き船を守っておられました。
六年前、潜伏キリシタンについて報道してくださったテレビ局TBSは、五月からSDGsキャンペーン「地球を笑顔にするウイーク」を行っています。教会の周りもプラスチックのみの収集日が四月から指定されました。私が使っているゴミ置場では初日は一袋でしたが、今は他の種類の日と同じくらいの量がおかれています。なるべく削減のための工夫はしていますが、自分は生きているだけでこんなに地球に負荷をかけてしまっているのだと感じながらゴミ出しをしています。
マリアさまは海の星(ステラマリス)とも呼ばれます。この海にも小さくなったゴミが生態系に循環してまた人間にも影響している。そのことを教皇さまも述べておられる。信仰とは私たちの行いを伴うものであり、独自なものでなく、社会とも共同するものなのでしょう。
同じく六年前、聖霊降臨の後の月曜日に「教会の母聖母マリア」を制定しました。今年は今月二十日がその日になります。
コロナ感染予防について気をつかいながらも、カトリック東京大司教区はレベル2の防止を明記しています。本所教会も今後の教会の在り方について話がでるようになりました。
コロナ明けの教会についてよりもこれから先の教会の姿について考えての話です。
私がはじめ思ったのは長くお務めになった司牧評議会会長の交代に対して新会長を選ぶ指針になるものが分かりにくかったことがはじまりでした。慣れで疑問点に封がされていたこともあったでしょう。
一人ひとりの考えは異なります。評議会に参加された皆さんの様々な思いが伝わりました。
コロナから先の教会像はどうなるのか、教皇さまは「シノドス」をもって時間をかけてすすめていかれています。最近はこの進め方を「霊的会話」という手法でいわれています。先日もカトリックの教職にある方の集いでこの「シノドスの方法から学ぶ」と題されて会議を導いておられました。
教会のことを決めるといっても教会の中で完結させるという目標をもってしまうと簡単ではありません。
教皇さまの回勅などメッセージがあります。司教さまが伝える宣教司牧指針をはじめとする指針があります。教皇庁が定める「教会法典」もあります。法人本部が主催する財務担当者会議で示されるマニュアルもあります。そこには各種行政の法律・条例もからみます。
でも、私はその問題に向き合うときこのセリフを思い出すのです。
『人はいつも組織をつくりたがる。私は神さまのひとつの鉛筆にすぎないのに』
昔放映されたオリビア・ハッセー主演の「マザーテレサ」の映画の一部です。
神とつながりがなければ私たちはなにもできないし、前に進めないのです。社会にあって神の旗印である教会という船。大海原を進む以上、困難は普通の事。
歴史の中で人類は多くの困難にあうたびに「マリアさまのご出現」のニュースがありました。
「ファチマの聖母(十三日)聖母の訪問(三十一日)を含めた聖母の記念日がある五月。
とりつぎの祈りをささげましょう。 |
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教会報第246号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「清明」
主のご復活おめでとうございます。
併せて
四月の挨拶を申し上げます。
今年の聖週間は私の手術明けということで少し動きを抑えたミサの流れとしました。頭部の神経にかかわる箇所へのオペということで、術後しばらく禁じられるのは「歯の食いしばり」でした。この二週間、痛みを感じた時は
・電球交換で腕を伸ばすと 痛む
・考え事をして 痛む
・災害報道を聞いて 痛む
・原稿作成していると 痛む(今)
日常で歯を食いしばるほど緊張していたのかと気づかされました。
古代教会では復活の主日から復活節第二主日までの八日間、新しく信者になった人は白い衣をまとっていました。この白い衣は復活節第二主日に脱ぐこととなっていたため、この主日を「白衣の主日(ドミニカ イン アルブス)」と呼ぶ習慣が生まれました。この名称は一九六〇年代の第二バチカン公会議の前は『ローマ・ミサ典礼書』に残っていましたが、公会議後は用いられなくなりました。また、二〇〇〇年五月五日には教皇庁典礼秘跡省から、復活節第二主日に「神のいつくしみ」という名称を加えるとする教令が発表されました。この教令は次のように述べています。
「現代において、キリスト信者は世界の至る所で、典礼の中で、とりわけ神の愛に満ちた寛容さがとくに輝き出る過越の神秘の祭儀において、神のいつくしみを賛美することを願っている。この願いに応えて、教皇ヨハネ・パウロ二世は、『ローマ・ミサ典礼書』の「復活節第二主日」の後に、今後、「または神のいつくしみの主日」という名称を加えることを決定された」。これを受けて、日本の教会では二〇〇三年から、復活節第二主日に「神のいつくしみの主日」という名称を加えています。
神のいつくしみの主日は毎年同じ福音箇所です(ヨハネ20・19ー31)。
『すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。(後略)』
弟子が集まって鍵をかけていた様子からの展開です。緊張状態がうかがえます。自分たちの主が殺された今、弟子である自分たちの身の危険が近いこと。イエスを見捨てて逃げたことへの良心の呵責。イエスから叱責されるかもしれない。その真中にイエスは現れ「あなた方に平和があるように」と呼びかけます。
新年度はじめから緊張する出来事がありました。台湾を中心に被害がありましたし、テロや戦争、脅迫など否応なしに緊張してしまいます。祈りをささげると同時に、この影響は自分にどのようにくるのだろうという不安もあります。
イエスは「平和があるように」とおっしゃった後、手と脇腹の傷を弟子たちに見せます。それは、死んだイエスと同一人物であることの証明ということ。そのことによってイエスが生きていたことの喜びになります。そしてもう一つ、人に最も響く愛を示されたのです。人にとって自分のために痛みを差し出すという姿は愛の証しです。
弟子はイエスが生きていたという事実だけでなく、弟子がイエスの愛に触れたからこそ、喜んだと感じたのでしょう。
今様々な困難の中で傷ついている人の傷は、真の平和と救いへ向かって再び立ち上がり、歩みなさいという励ましです。弟子たちがつないできた信仰によって生きる私たちは新しいキリストの復活の恵みのうちに、心を向けていきましょう。
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教会報第245号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「浅春」
三月のご挨拶を申し上げます。
四旬節は二月十四日にはじまりましたので、今月末が復活の主日となります。準備はどうでしょうか。
二月四日に行われた、二十六聖人殉教者ミサは珍しく霙まじりの雨模様の中で行われました。奉仕の皆様に感謝です。
実は今年の殉教者ミサを前にして一つのニュースが入ったのです。当日の六日前、主式の大司教様から訪日中のアンゴラのゼフェリーノ大司教様が共同司式されるといわれたのです。司祭集会での挨拶を聞くかぎり日本語、英語はちょっと得意ではないかもしれないという別の情報があり、スペインにて叙階されたとのことで、聖堂前に掲げる二十六聖人の説明も急遽英語・スペイン語ミックスに作り替えました。
例年式次第に記載している二十六聖人の紹介もわかりやすい英語に訳し掲示してお迎えの準備。
司式者用のミサ式文もスペイン語を用意しました。これには麹町教会の神父様方にお世話になりました。お迎えする万全の体制が構築されました。
結果を述べますと、東京教区司祭集会後、ゼフェリーノ大司教様は同郷の司祭とつながりができて、その方の担当している教会の主日ミサに行かれるということで私たちにとっては土壇場でキャンセルとなりました。お土産も用意していましたので、後で大司教様から渡してもらいました。
濡れた多言語の掲示板をミサ後眺めてみると、思考する手間はかかるけど「豊かさ」を感じました。多様性の一致を示す教区において、多言語のミサの積み重ねはよい実りをもたらすでしょう。
もう一つ報告があります。
二月二十日には東京教区人事異動が発表され、二十五名の司祭の新しい任命が公示されました。その中には八年間にわたって、浅草教会と上野教会の主任司祭を務められた晴佐久神父さまが含まれています。本所教会を含めた三教会は秘跡、信心業への共同の取り組みをしてきた間柄です。復活祭が早いので本所教会で直接お礼を申し上げる機会はありませんが、共同の取り組みに関してご理解いただき感謝しています。
さて、晴佐久神父様と私豊島神父は前任地が同じです。その前任地にあったオルガンが二月二十四日、本所教会内陣に置かれました。
一九七二年に創立されたその教会のはじまりは、特定の場所をもたず信徒の家を転々と主任司祭とともにミサをつないできました。
ついに借家から拠点を得たとき工場を経営していた信徒の方がリードオルガンを購入し寄付したのです。それから彼は数十年オルガン奉仕をしながら大切にしてきました。しかし、時代の流れでしょう、電子でスピーカー付きのオルガンが導入され、聖堂の横に置かれることが多く、年に一回高齢者のミサで使われるのみになってきました。
いよいよ、捨てようとなったとき、晴佐久神父様にオルガンは託され(メンテナンス済みです)、しかも人事がでて、どうするのかということになったとき、本所教会のオルガンも音が出ないことがあり、この機に第二オルガンとして本所教会で使うことはどうかという緊急諮問をし、会長、副会長、典礼の担当での審議で設置がなされました。第二のオルガンなのでいつもミサで音色を聞くことはないと思いますが、本所の木造の教会と木製のオルガンとの相性はよさそうです。
今月は四旬節の結びの月となりますが、四旬節の意義については、教皇様、大司教様がメッセージをお出しになられているのでそちらを参照ください。
皆さんの隠れた準備も復活の時、大きく咲きますように。 |
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教会報第244号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「春寒」
二月のご挨拶を申し上げます。
激甚災害に指定された能登半島地震、そして飛行機事故にはじまった令和六年も一か月が経ちました。
激甚災害に指定されたということは被災地のインフラ復旧に国が財政援助するということです。それだけに被災地の生活困難は伺い知れます。
本所教会での被災地支援のための募金はしばらく時間をいただきました。それは募金を行うならば、どのように使われるかを明確にしてからということからです。一月二十日に名古屋教区の担当司祭から具体的なものが発表されたので、今日から期間限定で行います。
初の最大震度七となった阪神淡路地震は二十九年前にもなります。発災は午前五時過ぎですが、携帯電話もない時代。情報カメラのシステムがまだないので東京は情報が把握できず、当時の日テレの朝番組では悠長に『ズームイン!』と言っていたのです。初動の判断が大事であることが思い知らされました。
この地震がきっかけではじまったのは「震度判定の人感から機械化」「災害派遣チーム」「ガスボンベの規格を同じにする」という制度とともに「ボランティアを募って活動する」「NPO法成立」という今では当たり前のものが誕生したのです。
カトリック教会としての被災地支援は年々迅速かつ趣旨がはっきりしてきていると感じます。阪神大震災当時私は学生で東京教区青少年委員会の事務局のお手伝いをしていました。ワールドユースディがマニラにて行なわれた二日後の発災でした。教区の青年は「ライブキャラバン」という企画を通して関西地区の青年とのつながりがありました。
その大阪の青年から告げられたのです。「いつも交流といってはワイワイの企画ばかり。関西がこんな時だからこそ、手伝ってくれよ(もちろん関西の言葉使いでした)。」その言葉にはっとさせられた時、都内在住の修道会神学生が中山手の本部に定住する形で赴かれ、機動力のある四輪駆動車をもつ青年とコンピューターシステムに詳しい青年が派遣されていきました。大勢の人力が他府県から必要とされるのは一時であり、あとはそれぞれの能力を持つ人が適時関わればいい段階になった時、白柳枢機卿様は東京教区災害対応司祭を任命してくださり、引き継がれていきました。
その後も二回の新潟中越地震、熊本そして東日本大震災があり竜巻・豪雨での被害でもかかわってきました。いままでの貧しくされた側に立つという教会の姿勢が始まりの気勢ですが、現場の話を聞いて、理解し、必要な救援を迅速にする体制は進んでいると感じます。
今、私たちは募金という形で震災への関心を示していますが、ぜひご自身のためにも対策をしてみてください。
地震動予測図もありますが、南海トラフは八十パーセントの確率とされている一方、今回の能登半島は0.1から3パーセントでした。だから確率ぬきで備えること。黄色の「東京防災」の本は全世帯に配られたと思いますが昨年五月に改訂されていて薔薇色になっています。お手元にあるでしょうか。
あと、ご自宅の電話回線の契約内容を確認ください。「光電話」での契約の方は停電時原則通話できません。災害発生そして連絡をとりたいとき、どうしたら意思疎通がとれるのかを相談しておくこと。
自身が助かってこそ他者を助けることができるのですから。 |
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教会報第243号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「七草」
一月のご挨拶を申し上げます。
正月の祝いも終わり日常がはじまりました。二〇二四年もどうぞよろしくお願いします。
今年は聖年を迎える前年となります。大聖年の二〇〇〇年からもう四半世紀すぎるのです。
教皇さまもこのことを念頭に準備をされてきました。文書を読んでいくと教会の在り方、私たちの生き方を変革していこうとしているようです。東京も宣教司牧評議会のなかで二〇二五年の聖年にむけて東京教区の在り方づくりを考えている旨がだされたとききました。今年はそのための準備の年と考えるとしっかり構えていなければいけないかと思います。
私も含めいわゆる「ふるい信者」は変化をうながされてもなんとかなるだろう、いままでそうやってきたという思い込みから心の中に殻をつくってしまいます。それは脳科学的に証明されているそうなので抗えませんが、少しずつ変化事項を知っていくことは大事にしなければなりません。
すべての始まりといえる降誕祭は一般の方もマスクの条件をお願いしながらでしたがお招きできました。十二月二十四日午後五時からの幼稚園関係の方も含めたミサでも午後七時からのミサでも多くの方がいらっしゃいました。司式者の位置からみると信徒の方以外のほうが多いのではと思いました。
とはいえ実質四年ぶりのこのようなミサでしたので、「かつて」と「今」というブランクは感じました。課題を持ち続ける緊張感は共有していきます。
十二月二十五日、日中のミサを終え片付けのために聖堂の入り口に立っていましたら二軒どなりの保育園の子どもたちがじっと聖堂を三つ目通りからみています。みんなでお散歩の時間なのでしょうか保育士の方も二人付き添われていました。「入ってみたい!」「みてみたい!」を口々にいっているのが聞こえています。責任者の先生も困っているようで「そんなのご迷惑よ」というのが聞こえたので身振りでお招きしました。てっきりイルミネーションかとおもっていたのですが、祭壇前のプレゼピオまで歩んでいき見入っていました。
アシジの聖フランシスコがこの降誕を示す姿を模したプレゼピオを初めて据えられてから八百年という記念の年でした。そして「フランシスコ会の教会にあるプレゼピオ前で祈りを捧げることで全免償を得られる」との特別な承認が下りました。期間は二〇二四年二月二日(主の奉献の祝日)まで、フランシスコ会(フランシスコ会、カプチン・フランシスコ会、コンベンツァル・フランシスコ会)の修道院や教会にあるプレゼピオの前で祈ることと、その他必要な行いをもってなされるとのことです。詳しくはネットの情報をご確認ください。
フランシスコ会といえば、昨年春にハインリッヒ神父様が帰天されました。関西での活動が主で「ふるさとの家」「こども里」を開設。そのあとを続けたのが同会の本田哲朗神父様・藤原昭神父様が発展させて現在も拠点となり続けています。加えて故郷にある私財をもって職にあぶれた人達が働く土地を確保された方です。普段は物静かでなんとなく怒っているように見えるのですが、大切なことを行動で示し続ける司祭でした。あるとき、暗い表情をしていた私に「司祭になりたいのでしょ」と一言だけくださいました。それ以外の会話をした記憶がありませんが大事な一言でした。
「あなたは信者でしょ」といわれても胸張れる一年を示すことができるように頑張りましょう。
「編集注:本稿は12月31日に執筆したものです」 |
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教会報第242号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「霜寒」
十二月のご挨拶を申し上げます
待降節に入り、祭壇も紫の典礼色に彩られ、外観は節電を意識したイルミネーションです。あとは私たち内面の準備です。与えられた四週間を心して過ごしてまいりましょう。
先月の十一月は死者の月でしたので、十二月は「いのち」を意識する月です。いのちの危機はいつの時代も叫ばれますが、国際カリタスの項目でも現在七か所あります。日本の事務局は「ガザ地区」援助の受付を開始しました。教会では振込用紙を用意しています。直接ネット送金も可能です。
ガザ地区は日本の福岡市と同じくらいの面積です。福岡市は人口百十万人ですがガザ地区は二百二十万人が閉じ込められているのです。
「天井のない監獄」といわれています。片方は海に、片方は造られた壁に挟まれてしまい、燃料をはじめ援助物資に頼らざるを得ない時を過ごしています。それも妨害されたり、行き渡らなかったりしているとの報道があります。
複雑な歴史構造を持つ地域です。さかのぼれば旧約聖書の記述にも行きつきます。
直近でみますと、現在のイスラエルができたのは一九四七年。そこで、パレスチナ人は追い出され四度にわたる中東戦争となりました。一番大きい自治権をもつガザ地区パレスチナ人の抵抗が続くなか、一九九三年平和が訪れる瞬間がありました。ノルウエーの仲介で行われた共存のためのオスロ合意です。当時のイスラエルのラビン首相とパレスチナ解放機構のアラファト議長が同じ演壇に立ち「今は戦いの時ではない平和の時だ」というメッセージをラビン首相は世に示しました。テレビで見ていた教会の神父様は「旧約聖書コヘレトの言葉を引用したのではないか」と教えてくださいました。複数国の介入で何回も約束を反故にされて話し合いの筋道さえ見出すのが困難なこの地において合意を維持するためには神のことばが必要と感じたのではないかというのです。それだけ単純には解決できないのでしょう。実際、一九九五年にラビン首相は暗殺され、二〇〇六年にイスラエルはパレスチナの地を攻撃し事実上合意は崩壊しました。
「天井のない監獄」が世に言われる地獄とならないように願います。
占領―反発―報復という憎しみの連鎖をとめることができるように教皇さまは聖家族の像に向けて祈りを捧げました。私たちもこの祈りに加わるよう呼びかけられています。
この待降節に視点をどう据えるかで、降誕福音の中で読まれる「飼い葉おけ」に意味するものがわかるのです。
難民となって居場所を求めやっと見つけた休む場が「飼い葉おけ」に見える人もいるでしょう。
飢えに苦しむ人に食料を据える器として「飼い葉おけ」を見ることもできます。
さまざまな理由で体に痛みを感じながら過ごさなければいけない干し草の寝床として「飼い葉おけ」をみる人もいるかもしれません。
今起こっていることと聖書のことばに敏感になって大切に過ごしましょう。誕生を光として祝うことができるように。
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教会報第241号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「暮秋」
十一月のご挨拶を申し上げます
月の始めの一日に諸聖人の祭日を祝います。翌日二日に「死者の日」として祝い亡くなった全ての方の安息を願います。
聖人であっても、その途上にある方でも、友人・知人・家族を始め亡くなられた方を思って祈る時、最も真剣に祈られていることに気づくのではないでしょうか。死者を念(おも)って祈る時、自分の心にある日頃の思い患いが癒やされ、清められているのです。
死者はこのようにして、「神の近さ」を私たちに感じさせてくれます。避けられない死。そして死が私たちに伝えるものについてモーリス・パンゲ著の「自死の日本史」のなかでこう述べています。
『《我々は》多忙さのなかに、われわれは死のことを、そしてそれと同時に、生のことを忘れてしまっている。しかし、現代生活の多忙さ、そのビジネスが常に滑らかに進行してゆくとは限らない。晴れやかに、かろやかに流れ動いてゆく現代日本の時間のなかにも、人間が生きている以上、暗い深淵が隠されていることに変わりはない。なぜなら、生きている以上、死ななければならないというのは、今も昔も変わらない真理であるからだ。(略)生とは刻々の死との闘いであり、そして一方では刻々の死への歩みなのであるから、死は常に生に現前していると言うべきであろう。急流にも似た勢いをもって人を押し流してゆく時間の流れにも、ときには停滞する淀みがあり、動かぬ淵があって、そのことをわれわれに教えてくれる。偶然に、その淀みなり淵なりにおのが身を見出す者は、あの人生という急流とは何であるのか、それに何の意味があるのかを自問する。生が神秘となり、死が誘惑となるのはそのようなときだ。(同)そのようなとき、人は自分の人生が与えられたものであること、しかもその与えられた生が自分の意志によるのではなく死に結び付けられていることを発見して愕然とするであろう。(同)死を意志する者たちの心は、あるときには、夜の空以上に暗いものであろう。しかしそのときでさえ、それはその限りない暗さゆえに、いわばその負のエネルギーゆえに、一条の光を発するのではないだろうか。』
死者の月、私は本所教会の皆さんから受けた墓参ご依頼を行います。谷中霊園、カトリック府中墓地、多磨霊園、カトリック五日市墓地に行ってそれぞれの墓に供花し祈ります。東京教区司祭の墓では直近一年に帰天された司祭の納骨が行われます。森司教様は献体の意思を表明されていたので四名の教区司祭が納められます。
西川神父様とは二人でカテドラルの近く六義園で語り合ったことを思い出します。周りの批判に対して西川神父様の本心を打ち明けられ、慈しみに満ちていました。
古賀神父様との最後の会話を思い出します。日本の教会のために聖座と行き来したときの思い出でした。悔しさもあったでしょう。
星野神父様は「最近もう食事する力がない」という叫びが今もよみがえります。現代の効率主義と戦う宣教師として無念かと存じます。
坂倉神父様は大学で子供を膝にのせたまま講演をしている姿がでてきます。いたずらする子に「ケイやめなさい」という小声もマイクにはいり和やかになりました。
司祭の境遇は司祭でないとわからないといわれます。皆さんもつながりをもった方もおられるでしょう。感謝の祈りを捧げましょう。
翌月からはじまる待降節は私たちの間に神が来られることを待ち望みながら過ごすのですから、死を想うときの先には、信者としていかに生きるかということです。
最後に。森司教様と私の最後の会話はバス中でした。「本所教会の聖堂はもう建て直しを考える時期でしょ。どうなの?」
さあ、みなさんどうします?
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教会報第240号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「秋風」
十月のご挨拶を申し上げます。
暑い日々も終わりになると報じられています。調べてみますと、二十八日現在で東京は猛暑日(最高気温三十五度以上)が二十二日、真夏日(同三十度以上)が九十日、夏日(同二十五度以上)が百二十七日と記録されています。干支一回り前二〇一一年の記録をみると夏日はほぼ同じですが、猛暑日はたった一日。今年は高い感じがします。皆さま、お疲れではないでしょうか。これからの気温低下で体調を崩さないように適度な気温適応のための習慣をはじめましょう。
カトリック教会は十月四日をもって本年度の「すべてのいのちを守る月間」を結びます。
この月間を制定したときの会長の言葉のはじまりはこのように記しています。
『すべてのいのちを守るためには、ライフスタイルと日々の行動の変革が重要であることはいうまでもありませんが、とくにこの月間に、日本の教会全体で、すべてのいのちを守るという意識と自覚を深め、地域社会の人々、とくに若者たちとともに、それを具体的な行動に移す努力をしたいと思います(二〇二三年六月に文書は一部修正)』皆さんはどうでしょうか。
どのような新しい策を行ったでしょうか。
東京二十三区は前からも行政単位でごみの分別の呼びかけが行われています。墨田区もプラスチックの分別収集が十月からはじまります。現時点では教会のある石原地域は今回の対象から外れていますが、「”安全”で”キレイ”な”概ね三十センチ以内のプラスチック百%素材”を回収します」と案内が明記され協力をよびかけています。ゴミ出し前に気に掛けることはまず一歩。
さて、カトリック教会はどう呼び掛けているのかみてみましょう。
『『ラウダート・シ』に示されたインテグラル・エコロジーとは、わたしたち人間のいのちを成り立たせている自分自身とのかかわり、他者とのかかわり、自然とのかかわり、神とのかかわりに、しかるべき調和を取り戻しつつ、人格的完成を目指して、皆がともに歩む世界(人類共同体)を作ろうとする、すこやかないのちの営みに立ち返る探求と取り組みのことです。』
前回ご紹介した「ラウダート・シ」デスクのホームページにある説明です。そこには各学校や、修道院の緑化再生作業、北広島教会の取り組みが動画で紹介されています。
先日、ある修道院で過ごしたとき、共同体が使用する食堂を利用させていただいたのですが、壁に宣言がかかれていました。写真撮影は許可されず(当たり前ですよね)、メモを取ることも恥ずかしいから駄目と修道院長さまにいわれたので、記憶をたよりに具体的な修道院名がわからないように多少文体を変えて紹介してみます。
「ラウダート・シ
某修道院の取り組み」
⚫︎宣言その一「朝挨拶をきちんと」
神によってその日の命をいただいた私たちは気持ちよい朝の挨拶を交わします。挨拶が気持ちよくできないと一日が不機嫌になりますし、不機嫌はモノや人に対して丁寧でなくなります。マザーテレサの言葉を思い起こしましょう『平和はほほえみから始まります』。
⚫︎宣言その二「その時必要なものを」
めいめいの食事を自分の皿に盛るとき食材にこめられている神の愛を感じながらいただきましょう。決して食べたいという欲求ではなく生かされているいのちをより生かすためにいただくことを思いながら。
⚫︎宣言その三「洗濯は糸の細さまで」
衣服の洗濯が完了すると気持ちが新たになります。洗濯のための道具も気持ちよい状態にしましょう。糸のゴミを取る部品も感謝の気持ちをもって洗いましょう、埃も拭き取りましょう。清められるための器(洗濯機)は常にあるべき状態に。
⚫︎宣言その四「灯はこころの光から」
神のはじめことばは「光あれ」でした。その光を最優先に。テレビの光、照明は必要なときだけに。
教皇さまは九月二十七日気候に関する勧めをだされたと報じられました。
信仰をもって環境に向き合うわたしたちでありますように。 |
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教会報第239号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「暑中お見舞い」
暑い日が続いています。いかがお過ごしでしょうか。七月二十六日には気温三十九度台の最高気温を関東地方で観測し、熱中症での救急搬送も三十九人(東京都同三時現在)と報道されました。こんな状況ですから、この時期外出をできるだけ慎重にされることをお勧めします。
また、すでに報道されている通り七月十五日から十七日にかけて秋田県内では記録的豪雨となり、甚大な被害が発生しました。秋田県内の信徒の家やカトリックミッションスクールでも床上浸水の被害をうけたとのことです。昔の家屋の浸水対策といえば、大雨の前に近所総出で荷物と畳を上げて、浸水後に床板を掃除するという作業で過ごしていましたが、現代の建築構造では原状回復の作業はそう単純ではないようです。
成井新潟司教は司教総会報告のビデオメッセージで全国にお祈りの依頼をされています。
温度の高い空気と低い空気がぶつかって積乱雲が発生、もしくは線状降水帯が発生し大雨を降らすというメカニズム。過去の気温の記録をみますと気温三十五度を超える日は昭和四十年代の十年間で一日だけでしたが、今年(昭和九十八年)はすでに八日を記録しています。だから頻発するのでしょう。またこの影響は他にもあります。食生活でいえば夏野菜が高騰してしまうでしょうし、季節の食物も収穫時期、量もかわってしまいます。そうしたら、限りある予算でやりくりしなければならない人は必要な糧を減らさなければなりません。
気候変動の国際会議ではいつも紛糾し具体的な対策ができないという報道にふれると、一人ひとりはエゴイスト(利己主義者)であると認識します。皆それぞれ自分さえよければそれでいい、それは認めたいものです。たとえキリスト者であっても、きれいごとを並べますが本音は「自分がかわいい」のです。確かに環境破壊を食い止めようという理想に賛成ではあっても、今のやり方をいきなり全部かえることはできません。現実、私はこの原稿作成も電気をつけて記しています。
教皇フランシスコの新しさは十三世紀に活躍したアシジの聖フランシスコのようにキリストにならう生き方を徹底的に追い求めているという点があります。アシジの聖フランシスコはあらゆるものに対して親しく接しました。とくに小さき者たちに対する底抜けの愛情表現は秀逸です。生きていることをよろこびつつ、感謝と賛美の歌を口ずさむことそのものが純粋な祈りとなっているからです。草花も、小鳥も、魚も、市井の人びとも、アシジの聖フランシスコのおおらかで朗らかな気楽さに励まされて生きる希望を新たにしました。開放的にあらゆるものと交流しながら地球全体を一つの家、それも憩いの家として大切にするというのが、教皇フランシスコの指導方針であり、それは回勅『ラウダート・シ』で結ばれています。
南米の神学者が一九九〇年代に論文を発表しています。格差社会の構造の底辺であえいでいる人々の叫びと環境破壊にさらされて軋んでいる地球の叫びとを結びつけて「いのちそのものの叫び」として統合して理解しているものです。教皇フランシスコは二〇一五年五月二十四日『ラウダート・シ ともに暮らす家を大切に』を刊行しました。この回勅では特定の人権思想の立場ではなく信仰の次元で物事を眺めて人々のこころを導く司牧者としてふるまっています。ですからこの回勅において「いのちを守るのは人間ではなく、神である」という視点を強調しているのです。神さまのいつくしみによって人間や地球環境がつつみこまれて「いのち」そのものが安定するという信仰の視点です。二〇一九年に、教皇フランシスコが訪日した際「すべてのいのちを守るため」という目標を掲げました。その真意は、神さまのいつくしみによってあらゆるいのちが守られていることを信仰視点で見直して回心せよということではないかと思うのです。
九月一日と三日は「被造物を大切にする世界祈願日」、そして十月四日まで「すべてのいのちを守るための月間」です。意識していきましょう。
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教会報第238号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「仲夏」
七月のご挨拶を申し上げます。
夏休み開始の月。この時期、司祭は黙想や教会の行事のため、教会を不在にすることが多く、近隣の協力体制を前提に司祭同士日程調整をはじめています。この時頼りになるのが宣教協力体のつながりです。発足して二十年と半年が経過しています。
▽東京教区の「宣教協力体」
二〇〇三年からはじまった宣教協力体。この目的は教会同士がより深い関係協力を築き、「福音的使命」を生きる体制を作ることにありました。
▼下町宣教協力体
当時の大司教様は五人の司祭からなるプロジェクトチームを発足させ、各教会の信徒から出された意見書を考慮し、本所教会は上野教会、浅草教会、そして上野教会にあるイエズス会中国センターと協力することになりました。協力体の名称は色々意見が担当者同士で交錯しましたが、「下町」という粋な名前を得ることができました。今は晴佐久神父様が上野・浅草教会を、井上潔神父様(イエズス会)が中国センターを担当されています。年に五回、それぞれの信徒の代表が集まり打合せや教区の諮問に応えます。この正式名称は「宣教協力体協議会」とされています。地域のニーズのこと、聖堂間の交流、共同の典礼などを話し合うようにいわれています。直近の六月の会ではインバウンドで訪問される方へのかかわり方、八月の平和旬間に関してやシノドスへの取り組みに関すること、防災対応の取り組みなどが話し合われました。世話人司祭は晴佐久神父様です。
▼「下町」宣教の取り組み
▽合同ホームページ
今年、信者でなく教会を訪れたいという方をメインにした「下町宣教協力体」のウエブサイトがはじまりました。ミサのことをはじめ、教会での講座を一覧にしています。それぞれの教会の係がいて更新にかかわっています。
▽入門講座(原則毎週)
教区カテキスタの取り組みからも拝察できますが、信者の共同体に支えらえて求道期を過ごすように「成人の入信式」儀式書の緒言十九項で示されています。上野・浅草教会では信徒による入門係が奉仕して入門講座を開いてくださっています。本所教会では「こどものための入門講座(不定期)」をもって補完したり、上野教会の「福音講座」もSNSをもって共用しています。
▽入門ミーティング(毎月)
上野教会、浅草教会の入門係が月に一回集まり、話し合いを持ちます。ここに本所教会からも信徒一名と私が参加しています。ついでに「月一回行うこと」と命じられている司祭連絡会のようなこともしています。
▼運営の助け合い
在籍信徒およそ五百人の本所教会と浅草教会、九百人の上野教会と規模の違う教会の補い合いもあります。
主なものは年二回のゆるしの秘跡での司祭の交換や教区からの要請に対しての委員派遣を行っています。
宣教協力体の形態も二十年経ちましたので現状を確認し検討する時期となりました。三教会ともに高齢化している中で知恵を出し合い、この交わりが力となるようご理解、協力をお願いする次第です。
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教会報第237号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「入梅」
六月のご挨拶を申し上げます。
復活節が終わってすぐ、例年より早い入梅となりました。最近の雨は長く降る風情ではなく、たたきつけるようなものもあります。気候の諸現象を恵みとして受け止められたらいいと思いつつ、足元の濡れに先に気を取られてしまうのも現状です。
教会でお話しする機会がなかったのですが先月二十一日から一週間は「ラウダート・シ」週間でした。日本の司教協議会では近年「ラウダート・シ」のデスクが設置され、毎年メッセージも出され、取り組みの提言がされています。現在責任司教として成井司教様が着任されています。このデスクのメンバーには本所教会の小教区管理者を務められた伊藤幸史神父様もおられます。詳しくは中央協議会のホームページはもちろん、教皇さまの回勅である本書の読み返しもお勧めします。
この回勅の第一章には、気候変動のことが記されています。
とはいえ、東京都心部の緑地は自然に造られたものではなく、整備されたものです。気候変動ときいても、実感がわきにくい。
駅前の錦糸公園近くの商業施設にある玩具店にはいわゆる「戦隊シリーズ」のコスチュームが販売されています。腕をふると光るブレスレットや夏祭り用では「お面」もあります。近くの幼稚園の子どもが変身するポーズをして友達と遊んでいるのも見かけます。
そんな出来事にあったからでしょうか、不謹慎とおもわれるかもしれませんが、『ラウダート・シ』というと、私の幼少期のテレビ番組『サンバルカン』を思い出してニヤニヤしてしまいます。よく真似して同級生と遊んでいました。
遊んでいたことを思い出すよりは、あの番組は始まりの歌がよかったのです。昭和の時代は子供向けの番組でもオリジナルで作詞され、串田アキラさんが、力強く歌唱くださいました。作者の権利があってその歌詞はここには載せられません。それぞれでネット検索をしていただきたいのですが、概要を文にすると
『太陽がなかったら、草は枯れ、(中略)人の微笑、無くすだろう。
太陽はみんなの星。幸せを守るもの)(二番もあり』』
「ラウダート・シ」というタイトルには「たたえられますように」という古いイタリア語で、アシジの聖フランシスコの「太陽の歌」からとられています。この「太陽戦隊サンバルカン」の歌はネット動画ですとスペイン語字幕がついたものがあります。そこでは「SI」が表示され、タイトルの意味深さがかんじられるのでした。
(あくまでも個人の主観になってはしまいますが)
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教会報第236号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「晩春」
五月のご挨拶を申し上げます。
さわやかな新緑の中、聖母月を迎えています。『レジナチェリ、レタレ、アレルヤ。天の元后、喜びたまえ。アレルヤ。』復活節の喜びを聖母とともに讃えて、教会は、このように歌います。
鐘楼のある教会ではこの祈りを促すため、朝昼晩と鐘がなります。
最近では近隣住民の方の生活環境を考慮し、音を弱くするとか、朝六時の鐘を遅らせるとか、いわゆる「呼び鐘」としてミサの開始、冠婚葬祭の送りなどに代えて使われているときいています。
私が入学した時の神学校は校舎の外につるされた鐘があり、典礼当番の中には「鐘つき当番」がありました。鐘に紐を結び滑車に通しただけのシンプルなもので加減が難しい。弱く引くと鐘の中にある「舌(ゼツ)」が音を出すのですが、これが当たらないと空振りとなり、強すぎると鐘が一回転してしまうので紐が滑車から取れてしまうこともあり、とにかく聞くに堪えないメロディになる。
オンタイムでなくてはならないので練習もできない。なかなかスリルがありました。神学校近くのお茶屋さんにいくと『新入生がはいったのね』という春のあいさつは、この鐘のリズムの違和感によるものだそうです。約二十年前神学校は新しい校舎が建てられましたが、予算の都合上と、鐘はなくなってしまいました。復活節の間は「アレルヤの祈り(レジナチェリ)」普段は「お告げの祈り」の言葉と合わせて間をとります。四ツ谷ではときどき、歩く足をとめて胸に手を当てて祈っている方をみかけます。
聖務日課といわれていた「教会の祈り」の実践もインターネット配信で合わせる方がでてきました。教会の祈りの配信チャンネルを登録されている方は四百人を超えています。とはいえ、実際祈りはきっかけがないとなかなか自力で持続するのが難しい。自己流の祈りも必要があるのでしょうけど、やはり全世界の信仰者と言葉を合わせて捧げる祈りも一致の慶びがあります。鐘の音をとまでいかなくても、きっかけをつくって祈りのタイミングを工夫できたらいいと思います。
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教会報第235号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「春暖」
四月のご挨拶を申し上げます。
春の到来を感じる現象のひとつに桜の開花があります。本所教会の桜の見ごろは受難の主日あたりかと思っていましたが、実際はその前でした。道行く人が教会の前で足を止めて見入っています。
三月二十一日の春分の日には全国各地で司祭叙階があります。以前は三月の第一日曜に行われるのが東京教区では多かったのですが、数年前から主日のミサの重要性が指摘されましたので、主日以外に設定されることが今となっています。学業がおわって、復活祭前で日曜でなく、皆が参集できる日となると二十一日となります。
叙階式に必要な人はもちろん司教と叙階者ですが、他に「呼び出し司祭」と「養成担当司祭」、そして「着付け司祭」なる方が存在します。ちなみに司教叙階式は養成担当司祭の代わりに教皇からの任命書を提示する方が登壇します。
呼び出し司祭との応答は神からの召しだしを象徴します。神がその名を呼び、呼ばれた当人は行動で示します。この場合は起立し前へ進みます。もう後戻りはできない覚悟をもつことだと言われます。
養成担当は適格性を保証します。式文に書いてある通りに宣言するのではなく五年以上一緒に生活し、苦しむ姿も至らない姿も見たうえでの宣言でなくてはなりません。それは司祭になる方が自分という個の在り方を、もう一度じっくり見つめなおすことですから、時には自分の適性に疑いをもち、不安になり、葛藤という気持ちの揺れが仕草や行動にあらわれます。確固たる意志をもってだけでは叙階できず、呼びかけ、応えの在りようがまた必要とされます。
着付け司祭は感動の瞬間です。どの司祭にお願いするかは受階者が決められます。「私は司祭なのだ」と自分で意識するのが司祭ならば一人で着るよう式文ができているでしょう。でも「君は私たちの仲間だよ」と着せていただくということで確認できます。
多くの人、出来事を経て誕生する司祭叙階。この実感は実際に司祭になってみないとわからないでしょう。司祭を目指したい方、遠慮なく主任司祭まで。
先日の叙階式では呼び出し司祭がコンベンツアル聖フランシスコ管区長の谷崎神父様、適格性を述べたのは東京カトリック神学院の稲川圭三院長、
六人いらした着付け司祭の中には東京教区司祭の加藤豊神父様、福島一基神父様がなさました。
(ちなみに私の時は助祭叙階式のときの着付け司祭はイエズス会の英神父様、司祭叙階のときは東京教区司祭の大原猛神父さまでした。)
今年の叙階式では被災した修道院への火事見舞いを仁川修道院所属の和越神父様に直接渡すことができましたことを報告します。
司祭召命には志願から叙階にかけての恵みの道と司祭でありつづけるための問いかけと恵みの道があります。ですから司祭は単なる終身雇用の職務ではなく、絶えず祈りと願いを必要とする脆い器であります。お祈りお願いします。
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教会報第234号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「都バスの話」
三月のご挨拶を申し上げます。
四旬節に入りました。四旬節の意義については、教皇様、大司教様がメッセージをお出しになられているので、今回の巻頭言は私の昔話にお付き合いください。
私の子どものころ四旬節は「お菓子なし」という期間でした。経済的な事情もあったかと思いますが、買ってくるお菓子はおやつ時でも存在しませんでした。でも自分でつくるのは別です。友達は四旬節であろうとなかろうと家に集まっていたので自作でと、なります。
親のいないのを見計らい、卵と牛乳と耐熱容器をだし、蒸し器をつかってレシピなしの想像だけです。さながら小学生の料理実験といいましょうか、とても食べようと思えない映えの卵料理が現れ、証拠隠滅のため全員責任をもって食しました。同窓会ともなると毎回その話題になります。
我が家ではもうひとつ、四旬節中は教会へは歩いて通うという決まりがありました。徒歩で一時間。退屈でしたし、その分、早起き、早出しなければなりません。
普段は親とバスで教会まで行けました。都営バスです。白地に青帯の車体はいつまでつづいたかわかりませんが、当時大人五十円だったと記憶しています。家の前から教会の前まで十五分間隔でした。車掌さんも同乗していました。座席に座ると近づいてきて料金を徴収します。降車ブザーは今のようにわかりやすくなく白いでっぱりがあるもので、車掌同乗のときはブザーは切られているので、恥ずかしい気持ちで「降りたいです」という意思表示が必要でした。そうすると車掌用のブザーで運転手に合図するのです。
このマンツーマンのコンビネーションが好きでした。今のバス車両には降車ドア近くの車掌スペースは跡形もなくなっていますが。
幼少のとき、四旬節中に私は何がきっかけかわかりませんが、はぐれてしまった事があり、帰るのが不安になりました。心細くなっていたら、いつものバスが近づいてきます。でもお金はありません。車掌用の窓が開き、「どうぞ」と招きます。親とはぐれた旨をつたえると、あとでおうちの人に払ってもらうからいいよ。という旨の返事をいただき、親より一足早く、家に着くことができました。これが我が人生初の「つけ払い」です。
振り返ってみて、自分はどれほど愛してくださる神に対してツケがあるだろう、どれだけこたえているだろうかと考えます。考えても究極の答えは出てこないと思いつつ、せめてこの四十日は想いをあらたにする課題をもってみたいとおもいます。
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教会報第233号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「福音視点」
2月のご挨拶を申し上げます。
2月は11日に世界病者の日を迎えます。昨年末逝去された名誉教皇ベネディクト十六世の奉仕職辞任意向が2013年のこの日に伝えられました。病者への慈しみと関わる全ての人への保護を願う日でありますが、四谷の売店では起源であるルルドに纏わるものについての問合せが多いそうです。
現在はルルドの水で作られたという飴は「パスティーユ」という名称で人気です。教皇フランシスコは今年の世界病者の日メッセージで、病者の癒し手はマリアであることと、友愛のきずなの構築を呼びかけて結びとされました。
東京教区行事で感染対策なしの形式で行われたのは2020年2月11日の「世界病者のミサ(担当・福祉委員会豊島神父)」が最後でした。
それから約三年、カテドラルにおいても私たちの集いについても教会のコロナ対策の今後はどうすべきか複雑なものがあります。後遺症を抱えて生活ができない人がいらっしゃる。一方で無症状の方が感染拡大の役割を持ってしまうケースもありますし、社会機能を円滑に進める必要も増してきました。
下町宣教協力体でも司牧評議会でも、今後のコロナ対策体制について議論が続いています。本所教会の基本路線は隣の幼稚園の警戒レベルに合わせることにありますが、大前提は教皇訪日においてテーマにしたように『全てのいのちを大切に』の呼びかけがあります。
1月22日の日本テレビの報道でも指摘されていましたが、マスクにしても所謂五類に移行する課題においても「もう大丈夫だから」という単純な話しではないという点は踏まえていなければなりません。みんなが同じ形態をとって全体を守っていくというスタイルから、各人がある程度の個人の責任を担って自分と他者を守るというスタイルに切り替えたということです。自分のこと、他者のことを考えて生きていかねばならないのです。
1月16日に本所教会の子どもたちの霊的な支えでいらした阿部眞理修道士が帰天されました。癌との闘病の日々はちょうどコロナの期間と重なります。
SNSと対面の両方で思いやる信仰を毎日伝えてくださったことは子どもたちにとって恵みです。若者にとって親しい人の死は心的な喪失感を与えます。
教会に訃報から日曜日まで祈りのスペースを設けていただき故人との同伴の場としました(本教会報に詳細記載)。他教会からも祈りにきた青年がいたと聞きます。思いやりの輪が広がっています。
社会のコロナ対策も転換点を迎えています。
実際この三年、新しく解った事があったから変える事項もあれば、科学的にはわかっていないけれど、社会的選択として変わる事項の二つが混ざっていることも忘れずに過ごすことになりますが、新しい福音を見出したことも加えられればと思います。
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教会報第232号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「教皇の言」
一月のご挨拶を申し上げます。
一月一日「神の母聖マリア」の祝いのミサでは前日に逝去された名誉教皇ベネディクト十六世の遺影台も備えてのものとなりました。
教会のマリア祭壇には写真と花が備えられ所謂「跪き台」も据え、五日まで祈りのスペースとしました。その後はカテドラルに移ります。(十日まで)
バチカンの修道院の一室で逝去されたのは日本時間午後五時過ぎ、日本での報道では午後九時あたりと思います。日本国総理大臣、外務大臣も年内最後の書簡として弔意書簡を出されていたと報じられています。バチカンでの葬儀は一月五日、東京ではカテドラルで十日に追悼ミサが行われます。
元日版五つの日本の主要日刊紙の扱いは、国際版での面割りでは一面比で朝日十三%、産経七%、東京六%、毎日十%、日経四%でした。急いで載せたのか複数ページにまたがっていたものもありましたが、全紙掲載されていました。
前任のヨハネ・パウロ二世の在位も長く、人気がありましたので立場は相当きついものがあったと思います。しかし教理省長官を長年歴任し、首席枢機卿として教皇職を支えてきた経歴は落ち着きを信徒に与えました。
ベネディクト十六世が選ばれたという一報が入った時、当時の駐日大使ボッターリ大司教様は「新しい教皇に教理省長官がなったのではありません。実際彼は慈悲深いかたなのです」と話されましたし、夏、司祭の黙想で青山和美神父様と寺西神父様が「今度の教皇様の書かれる書簡は実に素晴らしい。はっきりしているし、論理的である」と評されておられました。彼から神学を学んだ日本の方も多く、人柄を知ることができる書籍も多く出ているのも特徴でしょう。生涯教皇職が当然視されていた当時、生前退位をされたのも驚きをもって報道されました。公認されていませんが、「二人のローマ教皇」の映画の評判は良かったようです。
今では日本も含め諸外国の象徴は職務と果たすために何が必要ということが主となって見られているようです。
遺された回勅の中には「希望」を説く箇所があります。神とつながる人間の内面への愛です。とりわけベネディクト十六世の回勅は次世代に伝えたい珠玉のものです。
身許に召される時、最後のことばは「主よ愛しています」との報道。これぞ信仰と感じさせるのです。
救われるように努めるのは私たちの人生には責任があるからと諭された名誉教皇の多くの言葉は今も必読されるものと思っています。
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教会報第231号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「フィアット」
十二月のご挨拶を申し上げます。
待降節に入り、祭壇も紫の典礼色に彩られ、外観は節電を意識したイルミネーションです。あとは私たち内面の準備です。与えられた四週間を心して過ごしてまいりましょう。
先日、降誕祭の式次第について確認していましたら、降誕祭の式次第にはラテン語式文が含まれていることを知りました。降誕祭の主の祈りはラテン語で唱えることになりそうです
ミサ典礼において主の祈りは聖体拝領を前にしたところで共に唱えます。私たちを主イエスの食卓に招き入れるものです。「神の子羊の食卓に招かれたものは幸い」との祭壇からの呼びかけに応える宣言は「幸い」を分かち合うものです。
およそ百五十年間本所教会はミサを続けてきました。それは歴代司祭の存在をしめすものです。秘蹟によって存在し秘蹟を与え続ける司祭はその記念を二十五年、五十年、七十年の節目に祝うのが通例です。本所教会の関係では第八代主任司祭吉川敦神父が今年五十年にあたります。
先日、教会を代表して吉川神父様の療養先にお訪ねしました。直接お会いして、何とか本所教会でご一緒にミサを行いたいとお願いするのが私の一番の目的でしたが、病状を伺ってしまった後では提案を切り出せませんでした。でも暖かく人を迎え、真摯に話す姿はお変わりありません。
教会へのメッセージをお頼みしたら即座に「み旨が行われますように」を力強く記されました。
主の祈りの前半にもあるこの願いは故人となった吉川神父様の盟友と呼ばれる方の大切にされているものと療養先の刊行物で理解しました。メッセージを持って写真に写られた神父様には覚悟を持った信仰者の威厳を感じるのです。
以前晴佐久神父様が私に示された言葉がありました。
『「御国がきますように」 と祈りながら、御国に呼ばれることを恐れるのはおかしい。』
マタイ福音書の「主の祈り」にあることばです。私は日頃「恐れ」を感じたときにみることにしています。今年の主日は主にマタイ福音書が読まれていくことから、深めることができることばです。
マタイ福音書が「神は、わたしたちとともにある(一章二十三節)」という感動的な救い主の誕生の言葉ではじまり、「私は世の終わりまであなたがたとともにいる(二十八章二十節)」という復活の救い主のことばでおわるのは、共にあるという喜びを告げているかのようです。
{主の祈り・ラテン語}
Pater noster, qui es in caelis,
sanctificetur nomen tuum.
Adveniat regnum tuum.
Fiat voluntas tua, sicut in caelo et in terra.
Panem nostrum quotidianum da nobis hodie,
et dimitte nobis debita nostra,
sicut et nos dimittimus debitoribus nostris.
Et ne nos inducas in tentationem:
sed libera nos a malo.
Amen
{聖母マリアへの祈り・ラテン語}
Ave Maria, gratia plena,
Dominus tecum,
benedicta tu in mulieribus,
et benedictus fructus ventris tui Iesus.
Sancta Maria mater Dei,
ora pro nobis peccatoribus,
nunc, et in hora mortis nostrae.
Amen
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教会報第230号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「希望の月」
十一月のご挨拶を申し上げます。
月の始めの一日に諸聖人の祭日を祝います。翌日二日に「死者の日」として祝い亡くなった全ての方の安息を願います。
聖人であっても、その途上にある方でも、友人・知人・家族を始め亡くなられた方を思って祈る時、最も真剣に祈られていることに気づくのではないでしょうか。死者を念(おも)って祈る時、自分の心にある日頃の思い患いが癒やされ、清められているのです。
死者はこのようにして、「神の近さ」を私たちに感じさせてくれます。
『わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです(二コリント 四章十八節から五章一節)』
定められた日に父なる神の家に辿りついた方々の後を追う私たちも再会に希望を託して今を一生懸命生きることになるのです。
さらに今月は典礼暦の最終日曜の「王であるキリストの祭日」に向けてすべてのものの終末について思いを新たにする月でもあります。あらゆる終わりはその彼方に私たちを待っている永遠のいのちへと導かれているのです。キリストは、そこに向けて全てのものを導くためにこの世に生をうけ、十字架の死と復活の過越しによって、希望をもたらせてくださったと教会は宣言します。
そしていよいよ今月から「新しいミサ式次第」に切り替わります。新しい式文の解説については、カトリック新聞・東京教区ニュースをはじめインターネットで閲覧できる多くの動画サイトにありますので、教会としては先ず慣れることを主としています。細かい所作はモニターを設置しています。なるべく早く覚えてキリストの記念が行われる祭壇に合わせたミサの雰囲気を作っていきましょう。
大司教の呼びかけ(注)や日本語以外を母語とする方々の要望があり、また周辺の観光地をめぐる旅行者も増加する見込みがあることから、教皇訪日のミサのように多言語でのミサができるように準備しました。しばらくは二月の殉教者ミサのこともありますので一部ラテン語を用いたミサ式文で施行となります。新しい式文は教会の暦によって式文が多様になっていますので、多くのミサ回数で全部を経験することになります。まずは言葉の豊かさを味わいながらミサを大事にする教会になっていきましょう。み言葉と感謝の祭儀によって希望の神の導きに力づけられるように。
(注)下記に内容があります
●「宣教司牧方針策定のための10の課題まとめ」課題八
●東京大司教区「宣教司牧方針」十八頁 |
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教会報第229号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「隠されている業」
十月のご挨拶を申し上げます
いかがお過ごしでしょうか。
公園や土手を曼珠沙華が彩ったお彼岸も終わりました。
是非を二分する国葬も終わりました。九段坂公園からイグナチオ教会に至る一般献花の列に当日遭遇しました。公式ではありませんがデジタル献花もあったそうです。物理的な距離を縮める効果を持つデジタルならではで、需要も多かったと報道されました。
東京教区司祭寺西英夫神父様が九月二十六日早朝帰天されました。いつもの日課の大相撲(千秋楽)とプロ野球をテレビでご覧になり、就寝されてからしばらくして息を引き取ったとのことです。
あまり感情を表現されない神父様ですが、目立つことはありませんがしっかりと福音を示す生き方をされたといえる方でした。
故人への評価は人それぞれ異なり移り気です。ですから正当なことは隠れたところをも見ておられる神様のみがなさると考えます。どれだけ人を愛したか、どんな時に祈りを捧げていたかの全てをご存じなのは神様なのです。
死者の月(十一月)の前に当たる今月は「世界宣教月間」です。
「宣教者」といわれていた教皇ベネディクト十五世が、1919年に福音宣教に関する使徒的書簡『マキシムム・イルド』を発布されました。私たちの宣教の使命と実践を思い起こすこと、全ての人に対する神の愛を証するために国境を越えること、福音の喜びに心を開くこと、を述べています。
本所教会と地域的繋がりを持っている上野教会では「福音講座」を実施しています。悲観的な思考を捨てイエスの愛の宣言を私たちの生き方と働きの証によって示してゆく動きは広がっていくと思われます。
今年の教皇メッセージでは「殉教者」についても加えられています。
『究極的には、真の証人とは「殉教者」で、キリストがわたしたちにご自身を与えてくださったことにこたえて、キリストのためにいのちをささげる人のことです。
「福音宣教の第一の動機、それは、わたしたちが受けているイエスからの愛であり(ます)。」 (『福音の喜び』264)』
日本二十六聖人を保護の聖人としていただいている本所教会はデジタル機器を用いたミサ式文提示を開始しました。これは今年5月19日に成立した障害者情報アクセシビリティ・コミュニケーション施策推進法への教会としての対応の一環です。ミサを源泉として使命に励みましょう。
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教会報第228号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「この夏に捧げること」
暑中お見舞い申し上げます 七月の中頃から聖母被昇天の前日までお隣の浅草・上野教会のことをお願いされています。主任の晴佐久神父様が青年たちとキャンプに赴くからです。奄美大島で行われるキャンプはスケールが大きいので、神父様をはじめ準備はとても大変と感じます。
私も神父様の担当する教会の青年であった時、連れて行っていただきました。メンバーが確定すると、無人島で過ごすことを実現するために渡航前から基礎訓練が始まります。はじめは一緒に旅する仲間づくりです。
奄美大島に着いた後も、古仁屋教会にベースキャンプを作り(当時主任司祭でいらした故谷村達郎神父様の協力もありました)、素潜りの練習やここでも仲間同士の助け合いの訓練みたいなものがありました。わたしたちの時は六人でしたが、同時に台風が三つ来島した時でした。波のうねりがひどく岩に打ちつけられ背中が傷だらけになったのでした。
結局台風の影響と備品係がタグボートの空気栓を忘れたことで無人島には上陸できず、近くの大学の研究島らしいところでしばらく過ごし、帰京したという唯一無人島生活が叶わなかった年度でありましたが、透き通った海の深くに潜った先にある落ち着きのある青色が心に残っています。科学的に分析すれば南方の海は太陽の光が強く、海の透明度も高く加えて浅瀬が多いのと砂が白いことから赤・橙・黄・緑・青・紫・水色で成り立つ太陽光の青の部分が際立つとのこと。神さまがお創りになった世界の成り立ちの素晴らしさに感嘆したのを覚えています。
九月の第一日曜は「被造物を大切にする世界祈願日」となっています。被造物を大切にするためには、神さまがお創りなった全てのものから感謝を感じなければ始まりません。
今年も多くの青年が神様の想いを感じることができると期待しています。同時に晴佐久神父様のお働きに神さまの力添えを願って祈っています。
■九月 すべてのいのちを守るための月間
日本の司教団は訪日してくださったフランシスコ教皇様が発信されたメッセージに応えるため、九月一日から十月四日まで「すべての命を守るための月間」と定めています。設立当時の高見司教協議会長は『全ての命を守るためには、ライフスタイルと日々の行動の変革が重要であることは言うまでもありませんが、特にこの月間に、日本の教会全体で、全てのいのちを守るという意識と自覚を深め、地域社会の人々、特に若者たちと共に、それを具体的な行動に移す努力をしたいと思います』と呼びかけられ、前述の九月の被造物を大切にする世界祈願日の祈りと期間中は「すべてのいのちを守るためのキリスト者の祈り」を唱えるよう呼びかけられています。また加えて、エコロジー教育を行うことと諸団体との連携活動が呼びかけられています。
カリタスがキャンペーン活動
この会長の呼びかけに対して本所教会としては、祈りに直ぐに取り掛かれますが、後半の二つは難しいです。ちょうど国際カリタス(カリタスジャパンはその日本を扱う)ではトゥギャザー・ウィというキャンペーンを昨年末から始めています。現在発足したての東京カリタスがこのキャンペーンを展開する担当となっていますので経過をみてゆくことになります。
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教会報第227号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「白髪があって」
七月のご挨拶を申し上げます
七番目の月のことを和風月名「文月」と当てはめられています。元々は旧暦の七月を意味し暦の上では秋となる名称ですが、七夕や短冊などをその語源とするのが有力です。
七月の最終土曜に開催される隅田川の花火大会も今年も中止が発表されていますがこんな時こそ日頃の思いを文で伝えたいと考え、今年こそは暑中見舞いハガキを送ろうと本所郵便局を訪ねましたら、暑中見舞いハガキ「カモめ~る」は昨年から発行していないとのこと。出鼻を挫かれ数枚の切手を購入しそのままになってしまっています。頃合いを見て先輩へ向けてハガキでなく手紙を書こうかと思っています。
七月の四番目の日曜を教皇様は「祖父母と高齢者のための世界祈願日」に昨年一月、創設・制定されました。日本ではこの趣旨を九月の「敬老の日」として記念することが一般的ですが、カトリック教会としてはイエス様の祖父母、聖ヨアキムと聖アンナの記念日にある七月二十六日に近い日とされました。教皇様は毎年この日にあたってメッセージを出されています。
二回目となる今年のテーマは
「白髪になっても なお実を結び」です。
これは『いかに楽しいことでしょう』で始まる詩編九十二の結びです。
『神に従う人はなつめやしのように茂り
レバノンの杉のようにそびえます。
主の家に植えられ
わたしたちの神の庭に茂ります。
白髪になってもなお実を結び
命に溢れ、いきいきとし
述べ伝えるでしょう
わたしの岩と頼む主は正しい方』
教皇さまは今回のメッセージや今年に入ってからの「老齢期」という講話から年齢に縛られた見方をしがちな世界へ示唆を与え続けられました。
『わたしたちが実らせる果実の一つは、世界の面倒を見ることです(教皇メッセージより)』
『世界は今、試練の時を迎えています。パンデミックという予期せぬ猛烈な嵐が吹き荒れ、次に地球規模で平和と発展を壊す戦争が起きています。前世紀に戦争を体験した世代がいなくなりつつある今、欧州で戦闘が再び起こったことは偶然ではないでしょう(略)理解ある優しい眼差しと同じ眼差しで他者を見る(責務があります)(同)』
二〇二一年のヨゼフ年から始まり、今年六月までを「『愛のよろこび』(家族年)」にするとされ、結びとなるこの祈願日の流れに対して、司教協議会高見前会長は談話の中で呼びかけておられました。
『教皇は(中略)辛い状況にある私たちが、特に、家族のことを想い、大切にするようにしましょう、と呼びかけておられるのではないでしょうか。』
新型コロナウイルスによる対応で高齢者の住居への人の往来が規制されてきました。感染を防ぐためとは言え、これを組織的な高齢者への「切り離し」と指摘する方もおられます。ミサも規制対象となりました。オンラインがあるからと言っても、高齢者と次世代がつながりづらくなったのも事実です。教皇さまが制定時からのメッセージでおっしゃっていたのは若者に希望を与える高齢者の役割と手助けする喜びを示す若者という形でした。
一方介護という不安もあります。現代高齢者へのケアプランは多種あり、手厚いとされていますが、個々の必要な生活の手助けとしては万全ではないと現場は感じています。
普段、高齢者のことを考えたり、世話をしたりすると、安全管理という名目での現実の段取りのことでいっぱいで、存在の意義や個々人の生きる希望を考えるのをなおざりにしていることに気づくことがあります。
自身も高齢者であるとメッセージで表明されている教皇さまのため、司教のためそして高齢の司祭のためにお祈りください。 |
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教会報第226号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「神の召されたことを」
本所教会として名誉と思う知らせが届きました。
大司教様のブログ「司教の日記」5月8日におきまして、本所教会出身の稲川圭三神父様が、東京カトリック神学院の院長となられた、という内容です。
東京都練馬区関町にある神学校は1929年に東京公教大神学校(聖フランシスコ・ザベリオ神学校)として確立されたのち1948年に認可、東京カトリック神学院と呼ばれます。
1970年に札幌教区の田村神父様が院長になられた頃から教区の運営となります。
2009年にサン・スルピス神学院と統合され日本カトリック神学院と名を変え福岡との二拠点システムを開始。
2019年には新たな東京カトリック神学院となるのです。
一報があってから圭三神父様は設立以来何代目の院長かとご質問をいただくのですがこのような変遷がありますので答えられないでいます。2019年の体制になってからは2代目であります。
現在の東京カトリック神学院は九州地区を除く教区司祭養成と修道会司祭の知的養成の場となっています。修道会は以前知的養成の場としてアントニオ神学院がありましたが現在は閉校していますので、上智大学・大学院との二か所で場があります。
近年、新しい司祭養成課程が示され、司祭となる道は長くなりました。「予科」が新設され、養成課程が最低6年から7年半となりました。現在東京神学校はその予科生の共同生活の場のために神学校敷地内に新しい校舎を建設する準備をしています。上智大学へ通う神学生にとっては近年大学院の課程も必要となり、学費の負担がかかります。
教区・修道会神学生を支援する「一粒会」があります。(あまり知られていないようですが)一粒会の会員は東京教区の信徒全員。祈りと献金で支援します。献金も大切ですが祈りも常にお願いします。私の今までの経験上司祭になりたいという若者は減っているという実感はあまりありません。司祭になりたいという若者と面談は何度もしてきました。しかし、この長い養成課程が必要であること、司祭志願者が入学試験を受ける識別においても時間をかけることから諦めるケースもあります。
ですから入学志願者も判断者もこのプロセスは厳しいです。
司祭に対しての教会法典が改定されました。今後の司祭のあり方に影響するでしょう。
6月はみ心の月です。今年は6月19日がキリストの聖体、24日がイエスのみ心の祭日です。この流れからもあるように、24日は「世界司祭の聖化のための祈願日」です。
6月も一生懸命な祈りをよろしくお願いします。
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教会報第225号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父 |
「着任のご挨拶」
着任のご挨拶を申し上げます。個人的にこの地について思い出すのは 助祭となる前の
神学生時代、浅草教会に滞在していたことがあり、伊藤幸史神父様と共に本所教会を訪問いたしました。当時宣教協力体が発足し、上野教会と共にこの3つの教会は「下町」
の名を選び下町宣教協力体として今日に至っています。この「下町」という冠をいただ
くに至っての軌跡は簡単なものではなく、伊藤世話人司祭のタフな交渉があったと記憶
しています。
私は司祭となって今までの17年間のうち1年間を除いて多摩地域の教会を歴任してきました。ですからこの「下町」に前任の渡邉神父様との引き継ぎの話のために久しぶりに降り立って感じたのは、新型コロナウイルス感染症についての向き合い方の雰囲気の違いです。例えば、コンビニでのトイレをお借りすることができないと言われました。
幸い近辺には公園がありその設備もありますので事足りることが分かりましたが、とて
も困りました。それだけ綿密に対策を継続してきたのでしょう。
感染拡大防止の多くの取り組みは私たちに予防の意識を高めましたが、一方では急速に
オンラインシステム、そして人の集まり方を変えました。それが2年以上続いています
。もはやいわゆるコロナ前にそのまま戻ることはできず、新しい試みを繰り返しながら社会が形成されていくと言われます。事実私はコロナ前の本所教会の様子を知らないのです。これからも世の中は試行錯誤の繰り返しでしょう。
本所教会の音響システムが変わって初の主日ミサは4月24日の神のいつくしみの主日でした。この日、東京カテドラルでは菊地功東京大司教司式のミサにおいて「カリタス東京
」の設立が述べられました。詳しくは「東京教区ホームページ」(2021年8月8日お知
らせ)、「司教の日記」(2022年4月24日;当日の説教の文章含む)に記されていますが、豊かな器が用意された感じがします。私たちが神から与えられた良いものをどう生かすか、そのことを互いに育み合ってゆくことができればと思います。
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