「聖霊降臨の主日」(B年)説教
2012年5月27日・加藤 英雄師


イエスは言われます。今わたしはわたしをお遣わしになった方のものに行こうとしている。あなた方の心は悲しみ満たされている。わたしが去って行くのはあなた方のためになる。わたしが行けば弁護者をあなた方のところに送る。聖霊である弁護者によってあなた方はわたしを知る。わたしを理解するのではない。聖霊によってわたしを悟る。わたしについてのすべての出来事を知る。わたしの姿を知るようになるのです。
命とは、生きるとは何ですか。神様を愛するとは、人を愛するとは、信仰とは何ですか。そして、神様が主であるとは。わたしたちには誘惑がある。罪がある。平和がほしい。
聖霊はわたしのものを受けてあなたがたに告げる。しかし、わたしのものはすべて父のもの。父の持っておられるものはすべてわたしのものです。聖霊はわたしの思いをすべて知っておられる。わたしの思いは父のもの。聖霊は父と子の思いをあなたがたに知らせるのです。いや、知らせるのではありません。聖霊によって父と子はわたしたちにご自分を現されるのです。エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。(使徒言行録1・4~)

過越祭が終わり、50日目に刈り入れの祭り、五旬祭が来ました。過越祭、過越の食事が弟子たちにとってイエスとの最後の晩餐となったのです。 五旬祭のその日、家は一同が一つになって集まっていました。激しい風の音が天から聞こえ、家じゅうに響きました。聖霊が注がれ人々を満たしました。激しい風:風は神様の力の業です。風が吹く。神様が働いておられる。 イエスはニコデモに言ったことがありました。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くのかを知らない。風は神様によって生まれ、導かれ、神様のもとに帰ります。激しい風が炎のような舌が別れ別れに現れ、一人一人の上にとどまりました。風は炎のような舌でした。一同は聖霊に満たされました。満たされました。満たされている。五旬祭の日が来ました:時が満ちた。聖霊が注がれる日が来たのです。家が人でいっぱいになった。家がペトロのところに集まった人で満ちた。120人ほどの人がいたのでしょうか。(使徒言行録1・15)激しい音が天から聞こえ、家中に響いた。響いた。音が家を満たしたのです。一同は聖霊に満たされたのです。
来た。響いた。満たされた。この三つの言葉は同じ満たされるという言葉だそうです。

聖霊によって、燃える炎のような舌によって、弟子たちは語りだしました。教会は霊の語らせる言葉で話し始めたのです。
わたしたちには皆舌が与えられています。今迄のわたしたちは、自分の思いを語っていました。自分の感情を語っていました。時に、嘘をついてしまう。目の前にいる人を馬鹿にする。他人を傷つける。貶める、悪口を言う。仲間を、他人を誘惑する。偽証する。神様から与えられた舌はそんな舌ですか。わたしたちのこの舌が、霊が語らせる言葉を語れればいい。自分の思い、考えを語る言葉ではなく、励ましの言葉、慰め、思いやり、温かさのある言葉、そして何よりも、神様のおおらかさを喜ぶ言葉を語るのです。 新しい言葉を語るようになる。心と心が語る言葉。

家で物音がする。大勢の人が集まって来ました。家にいる人たちの話している言葉は自分たちの故郷の言葉だ。故郷の言葉で神様を語っている。人々は驚いた、懐かしかった。慰められた。 今日、教会の日です。教会が聖霊によって洗礼を受けた。
わたしたち一人ひとりも聖霊の洗礼によって、神様の中に入って行きたいと思います。


   


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