「年間第
25 主日」(B年) 説教
2012年
9 23日・加藤 英雄師


第一朗読・知恵の書で預言者の苦しみが語られています。神に従う人は邪魔だから、だまして陥れよう。神に従う人はいつもわたしたちの弱み、欠点をあげつらって攻撃する。お前たちのすることは律法に反している。出会う度に言われる。耳が痛い、心が痛い。語るな。わたしたちは神に従う人と一緒にいることは出来ない。彼が律法に忠実に従っているなら、敵がいても、神様が彼を守るはずだ。彼を苦しめてみよう。暴力と責め苦を加えよう。彼の忍耐を見よう。彼を恥じある死に追いやろう。彼の言葉通りなら神様の助けがあるはずだ。生涯の終わりに何が起こるか確かめよう。神に逆らう者は自分の楽しみのために、自分の喜びのために働いている。自分の豊かさ、自分の名誉を願い求めている。

洗礼者ヨハネが首をはねられた。ヨハネはイエスが見つめていた預言者。荒れ野で堂々と神を告げ知らせ、律法の内にヘロデを戒めた。預言者は神の御言葉を告げたために、人々に苦しめられ、迫害され、そしてついには命を奪われる。まさしく知恵の書の出来事です。また、この預言者の厳しい道はイエスの出来事でもあるのです。イエスは自分の時が迫っていることを弟子たちに告げる。イエスは王として来た。イエスは神様からの王。しかし、この王は弟子たちや人々の考えるような王ではない。一番強い王。一番強いとは、その人の思いが人々の心に沁み通る、刻まれる、心を打つ。その人の在り方が自分を生きる者とする。その人によって生きる力を得る。生きる喜びを知る。その王と一緒に歩きたい。それが一番強い王。イエスは一番強い王であるために一番弱い者となるのです。

「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する。」
弟子たちはイエスの言葉を聞いた。イエスは慎重に、重々しく語った。弟子たちは理解できない。しかし、イエスの重さに尋ねることが出来ない。 一行はカファルナウムに着いた。カファルナウムにイエスの拠点となる家があります。イエスは弟子たちに尋ねた。あなたたちは途中で何を議論していたのですか。弟子たちは黙っていた。弟子たちは自分たちの事を議論していた。誰がイエスの一番弟子か、誰がイエスを一番理解しているか、誰がイエスの一番のお気に入りか。自分の豊かさを求めているのではないか。自分の安心を求めているのではないか。自分を捨てなさい。それでなければ神様が見えない。イエスが見えない。 イエスは座られた。弟子たちを呼び寄せられた。「一番先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」 子供を抱かれて言われた。子供を受け入れなさい。子供のような人を受け入れなさい。何も出来ない人、働けない人、助けがなければ歩けない人、社会から受け入れてもらえない人、弱い人を受け入れなさい。全く弱い人を受け入れる人はわたしを受け入れるのである。神様の御心を受け入れるのである。一番弱い姿で、恥ずかしい、十字架という苦しい刑を受け、命を奪われたイエスを受け入れることが出来るのである。イエスを見つめます。愛の姿、十字架の姿を見つめます。


   


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