「待降節第3主日」(C年) 説教
2012年12月16日・加藤 英雄師


 今日、待降節第3主日を記念します。この日を喜びの主日と言うそうです。待降節は紫のストラです。紫とは神様がいない、神様を待つ時です。苦しみの時、悲しみの時、だから花は飾りません。今日、祭壇に花があります。神様を待つ今日、神様が来られることを感じることが出来る。そんな喜びを祝うのです。ちょっとした花です。 第一朗読・ゼファニヤ書、第二朗読・フィリピの手紙、両方とも喜びが語られています。ゼファニヤ書は喜びで始まります。「娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び踊れ。」主はもうお前を裁かない。神様はお前の中にいる。愛によってお前を新たにする。苦難の中にいるお前たち、神様を知り、喜びなさい。苦難がお前たちを、苦難を超えた時、お前たちを新たなものにするのですと言われるのです。フィリピの手紙:思い煩うのはやめなさい。何事にも感謝をこめて祈りと願いをささげなさい。出来事をすべて受け取ります。神様がすぐ近くにおられるからです。神様を近くに感じることが出来る、これこそ喜びです。 人々がヨハネに尋ねます。では、わたしたちはどうしたらよいのですか。ヨハネは語りました。蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。わたしはアブラハムの子孫だから、神様から愛されているからなどと思うな。悔い改めにふさわしい実を結べ。斧は既に木の根元に置かれている。ヨハネの激しい説教を聞いた人たちがヨハネに問うたのです。自分は終末の時、救われるのですか。わたしたちはどうすればよいのですか。ヨハネの話を聞いた人たちに徴税人がいました。兵士がいました。徴税人はイスラエルを裏切っていると思われている。会堂に入れない。祈れない。ヨハネは言います。徴税人、得をしようと思って法外な税を取ってはいけない。兵士は民衆をローマのもとに縛っていると思われている。兵士よ、誰からもゆすり取るな、だまし取るな。お前たちの目で神様を見つめなさい。そしてヨハネは言います。自分の職業のいやらしさを思う前に、自分の職業を変えたいと思う前に、自分を変えなさい。特別な修業を積んで心と体を変えるのではない。断食したり、自分を体を鞭で打ったりする修業によって変えるのではない。今の自分を変える。隣人に無関心だった。隣人を見つめます。自分の生活しか考えていなかった。与えるものになります。あなたの心を神様に向けるのです。 人は皆、平安を待ち望んでいる。和やかさ、喜びを待ち望んでいる。このヨハネがわたしたちに平和をもたらす者、救いをもたらす者ではないかと人々は思い始める。しかし、ヨハネは言います。わたしを超える方が来られる。わたしはあなたたちに水で洗礼を授けた。水によって今の自分が死に、新しい自分が生まれ、出発する。しかし、その方は火と聖霊によって洗礼を授けるのです。あなたたちのうちに巣食っている罪をその火によって焼き尽くす。聖霊、神様の力があなたたちの心と体の内に住む。その方によって本当の平安、本当の喜びを味わうことが出来るのです。わたしはその方の履物のひもを解く値打もない。あなたたちはその方イエスに会う。 わたしたちはその方イエスの誕生を待ち望んでいます。


   


戻る