はじめてこのページを訪れてくださった方の中には、カトリック教会について、全くご存知ない方もいらっしゃるかもしれません。そこで、このページでは、カトリック教会のことについて簡単なご紹介をいたしましょう。詳しいことは、ぜひ教会においでになって、そこにいる司祭(神父)に聞いてみてください。
さて、カトリックとは「一般的」「全体的」「普遍的」という意味のギリシャ語「カタ・ホロス」から作られた言葉で、すでに紀元3世紀のころからキリストの教えを正しく伝えている教会の呼び名として使われていました。
1549年に日本にはじめて伝えられたキリスト教はこのカトリックの教えで、その後徳川幕府の弾圧時代、教えを護りつづけた「隠れキリシタン」も、カトリック教会の人々でした。
キリスト教にはもうひとつプロテスタントの諸教会があります。プロテスタント教会は16世紀の宗教改革の折に、カトリック教会から分かれたもので、現在全世界に約2万ほどの宗派があります。
カトリック教会は別名ローマ教会とも呼ばれています。これはイエス・キリストの12人の弟子(12使徒)のうち、漁師をしていたシモン・ペトロをイエスが弟子たちの頭として特別な使命をあたえられたことに由来しています。ペトロは後にローマに教会を作りそこから教会全体を指導し、やがてローマ皇帝ネロの迫害により殉教しました。それ以後、ローマ教会のリーダーが伝統的にカトリック教会のリーダーと認められ、この地位はやがてローマ教皇と呼ばれ、その指導する教会のこともローマ教会と呼ばれるようになりました。
ローマ教皇(ローマ法王)は全カトリック教会に対して最高の統治権を持っているというのが、カトリック教会の伝統的な考え方です。12使徒たちの後継者は司教と呼ばれ、現在全世界の約2500の教区と呼ばれる地域教会の責任者として働いています。日本にはこの教区が15あり、そこで17人の現役司教が働いています。
では、わたしたちカトリック教会が信じるイエス・キリストとは、どのようなお方なのでしょうか?
「疲れた者、重荷を背負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
今から2000年前のユダヤ地方で、イエスは人々にこう呼びかけました。聖書によればイエスが30歳ころのことだったといわれています。当時のユダヤは強大なローマ帝国の植民地支配下にあり、政治的にも思想的にも自由を奪われ、また特権階級化した宗教指導者たちは、人々を「罪びと」として蔑んていました。
こうした時代にイエスは、苦しむ人間の姿を見て、ともに苦しみ、ともに傷つき、ともに涙し、ともに歩みました。神はすべての人の神であり、そうした人間にこそ、神は近づき、救ってくださる方だということを、語り始めたのでした。イエスは実際にユダヤの町々を歩き尽くし、多くの人々との出会いの中で、とりわけ貧しい人、病気の人、心や体の障害に苦しむ人、社会的に差別されている人と関わり、みな神から愛される神の子であり、イエスの兄弟姉妹であることを、伝えてまわったのです。人々に伝えられた癒しと救い、希望のメッセージは多くの人に信頼と希望と愛を呼び覚まし、イエスのもとにはさまざまな出身の数多い人々が群れ集うようになりました。
ところが、こうしたイエスの活動を快く思わない人々が、当時の社会的・宗教的指導者たちの中にあらわれ、やがてイエスはこうした人たちの策謀により捕らえられ、処刑のなかでももっともむごい刑として恐れられた「十字架刑」にされてしまいます。しかし、イエスはこの死の苦しみの中でも、信仰と、救いと、神の愛を、言葉と行いをもって、死の瞬間に至るまで伝えつづけました。
イエスの遺体は、当時の習慣に従って埋葬されました。イエスの弟子たちは、すべてが終わったと考え、人々を恐れ家の戸を堅く閉め、またある弟子たちは自分たちの故郷へと帰っていきました。しかし、不思議なことにイエスの死後3日すぎてから、弟子たちは人が変わったように、イエスの言葉を確信をもって公に語り始めたのです。彼らは彼らに現れた復活のイエスを通して、肉体の死をこえて神とともに生きる、本当のいのちを見出したのです。イエスが身をもって示した十字架の苦しみと死をとおして、暴力と死に打ち勝ったという信仰を、「復活」という言葉で表しています。
こうして復活のイエスに遣わされた弟子たちは、宣教の旅へ出かけ、各地にキリストを信じる人たちの小さな集い、すなわち教会を誕生させました。
教会では、毎週一回、同じ場所に集い、イエスの教えを聞き、その教えに従いともに食事をする(キリストのパンを分ち合う)という礼拝が守られていました。また、イエスの教えを信じ、キリスト信者であることを公に宣言するしるしとして、「洗礼」もこの集いの中で行われていました。これが現在まで絶えることなくカトリック教会が守ってきた「ミサ」と「洗礼」の由来です。
日曜日に全世界のカトリック教会でささげられるミサは、どなたでも参加することができます。どうぞあなたもカトリック教会においでになり、イエスの言葉にふれてごらんになるよう、こころよりお勧めいたします。
また、祈ってみたいけれど、どんな風にすればよいかわからないという方は、教会が大切にしている次の祈りを行ってみてください。声に出しても、出さなくても結構です。いつ、という決まりもありません。祈りたくなったら、それが祈りのときです。
主の祈り
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
アーメン
アヴェ・マリアの祈り
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。
栄唱
栄光は父と子と聖霊に。
始めのように今もいつも世々に。
アーメン
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