「王であるキリスト」(B年)説教
2015年11月29日・加藤 英雄師< |
わたしたちの主イエスは王様です。しかし、イエスは異邦人の求めるような王様ではない。律法学者、ファリサイ派の人々、祭司長たちがイエスをローマ総督ピラトのもとに連れて行きます。律法学者、ファリサイ派の人々、祭司長たちはイエスが王と自称していると訴えているのです。
律法にとって王とは何か、異邦人ピラトにとって王とは何かと問うのです。
ピラトはイエスに問いながら、話し始めます。人々はお前を求め、お前のもとに人々の心が集まっているという。お前は人々を導いているのか。お前はユダヤ人たちの王か。
イエスは答えて言われます。それはあなたのお考えですか。ほかの者がわたしについて、あなたにそう言っているのですか。 ピラトは言う。お前は何者だ。お前は何をしたのか。
イエスは答えます。わたしは毎日、神を語っています。病をいやし、神様の憐れみを示しています。人々は神様のもとに集まるのです。わたしは神の国を示しています。しかし、神の国はこの世に属していない。 お前はその国の王なのか。 あなたはわたしが王であると言っている。 あなたにとって王とは何ですか。国の権威、権力を持つ者。自分の思いで人の生きる、死ぬを支配する者。人の心を自分に向けさせるもの。力によって支配を広げる者。そのような力を持った人ですか。
わたしはあなたが考えるような、支配する王ではない。わたしの国はこの世に属してはいない。わたしはこの世で王ではない。
わたしは真理について証をするために生まれ、そのためにこの世に来たのです。神の国は、真理を求め、真理のために生きる者の国です。真理に属するものはわたしの声を聞く。
力によって従わせるのではなく、豊かな、語る人の、その心を知ったら、生きる命を語るその言葉を聞いたら、その人に従わざるを得ないのではないでしょうか。神の国は豊かないつくしみ、憐みの国です。笑顔、喜びの国です。また、隣人のために働く国です。王の権威は支配する力ではない。人の世話をする力、生きる命を守る力、この力は神様から来るのではないでしょうか。
真理とは:神様のみ心、神様からの出来事。
神の国: 隣人のために働く人が招かれている国。力のある人は忙しい。この人のためにも、あの人のためにも働いてほしい。みんなから引っ張りだこです。そんな人が神の国にはいっぱいいます。神の国は働くところです。神の国は楽が出来る極楽だと思っていた…という人がいます。その人に言いたいのです。天の国に入ったら、始めに、極楽の喜びを味わってください。そんな優雅な生活は、1,2週間すれば飽きてきてしまいます。神の国で命の素晴らしさを知るのです。生きているこの喜びを味わう。神の国からこの世を見る。苦しんでいる、悲しんでいる。苦しんでいる人を解放したい。悲しんでいる人たちに慰めを与えたい。間違った道を歩む者たちに灯を示したい。神の国で祈る。お祈りが一番大きな恵み、一番大きな仕事。働けば働くほど喜びが大きくなる。神の国で思い切り祈りたい。神の国は祈りの国。
イエスこそ王様です。真理を語る、いや、真理は生きる喜びだと証をされている。隣人のために働いておられる方です。わたしたちを包んでくださっている。互いに愛し合いなさい。イエスから与えられた道を歩みます。 |
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「年間第33主日」(B年)説教
2015年11月15日・加藤 英雄師 |
11月は死者の月です。死者というとこの世を去って行ってしまった人たちと考えてしまいます。11月の始めに諸聖人を祝いました。そして、死者の日、世を去った人たちのために祈りました。翌日は墓参です。肉親でも、世を去ってしまうと、忘れている。世話になった人も忘れている。墓参はお墓の前で主の祈り、アベ・マリアを唱えます。祈りのうちにつながってゆくんだなと思うのです。
死者とは生きていないと思っている。そうではない。死者はこの世から新しい世界に旅立った先輩です。新しい時のうちに、新しい命を得て、神の国に生きているのではないでしょうか。
11月は今、わたしたちがこの生活を生きている、そして、この生活が神様のみ心のうちに生きているかを思い巡らす時であるように思います。
今、幸せですか。
生活できる日々を送っています。毎日無事に過ごしています。土曜日のニュースで、パリに爆弾が仕掛けられていた、死者が128人にも上ったことを知りました。ここではそんなことがない。
心配といえば、自分の家族のこと、子供、孫の健康、そして、近所付き合いぐらいのことです。
今、幸せですか。信仰生活の中で幸せを考えてほしいのです。信仰の戦いがないのではないでしょうか。 例えば、わたしたちは知らず知らずのうちに速さを求められています。この社会全体が速さを求めている。ほしい物がすぐにほしい。与えられた仕事を速く済ませる。映画、テレビでも、早く感動したい。 ゲームが速いのです。速くボタンを押す。長ったらしいのは嫌だ。リニアカーはとんでもなく速い。速くて何を求めているのですか。
ゆっくりの時間を過ごしたい。ゆっくり話を語りたい。過ぎ去ってほしくない。わたしたちの周りには出来事がたくさん起こっている。わたしたちに呼びかける出来事です。出来事を見る、考える。祈る。そして、その出来事の一つに入る。歩いて行くのです。
「いちじくの木から教えを学びなさい。」
いちじくの木が見えたら人の子が見えます。いちじくの木はイエス様ではないかと思ったのです。イエス様を知りたい。イエス様の言葉、み心を知りたい。イエス様からにじみ出る温かさ、思いやり、いつくしみ、愛を知りたい。いちじくがイスラエルの地に芽生え育っている。実を結んでいる。どっしりと実を結ぶ。わたしたちはその実を味わう。イエス様によって神様を味わう。
いちじくを腹いっぱい食べる。神様の仕事をしたくなる。わたしと一緒に歩きましょう。貧しくて食べられない人がこんなにたくさんいるのかと知る。病気の人がこんなにいるのかと知る。父さん、母さんがいない子供たちがこんなにいる。歩き始めると出来事が見えてくる。イエス様と一緒に働いたら貧しくなる。苦しくなる。貧しい者は幸いだ、苦しむ者は幸いだ、悲しむ者は幸いだということが分かる。イエス様がだんだんと見えてくる。
今日の聖書を読むと残りの者になりなさいと言われているようです。キリストの道を歩いて苦労しても、その道を離れてはいけない。神様のうちに生きる。隣人と一緒に生きる。苦しいから、苦労がたくさんあるから離れる、悲しすぎるから離れる。そんな人が出ても、残りの者となります。終末の日以前に、わたしたちに、わたしたち一人一人、あなたは何ですかと問われているのです。あなたの生きている道は何ですか。あなたの信仰は何ですかと問われているのです。
11月は新しい世界への出発の時です。暗くなればなるほど、明るい言葉で、笑顔で、明るく隣人のために働いて行きたいと思います。残りの者となります。 |
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「年間第32主日」(B年)説教
2015年11月8日・加藤 英雄師 |
生きる。自分が何であるかを知り、神様を見つめながら生きる。
神様はやもめ、親のない子供たちをより大切にされました。(申命記10・18) やもめ、親のない子供たちは力がない。だから特に気を引き締めて、生きなさい。生きる力を求めなさい。神様に頼りなさい。
エリヤに出会ったやもめはエリヤに神様の力を見たのだと思います。やもめはエリヤから水を飲ませてほしいと頼まれた。また声が届いた。パンも一切れ持ってきてほしい。
やもめは答えます。わたしにはほんの少しの小麦粉とわずかな油しかありません。わたしは薪を拾って家に帰り、息子と最後の食事をします。後は死ぬのを待つばかりです。
エリヤは言います。恐れてはならない。死を待つのではない。生きなさい。生きるために働きなさい。イスラエルの神様はこう言われる。
主が地の面に雨を降らせる日まで
壺の粉は尽きることなく
甕の油はなくならない。
神様の言われるとおり、わたしのためにパンを作って持って来なさい。
やもめはエリヤを包む神様を見たのです。エリヤを通して神様が語っている。
やもめは自分の命と息子の命を捨ててエリヤの願いを聞き入れました。神様はやもめの心を見ました。やもめはその時から、食べ物に事欠かなかった。やもめは神様の力を知ったのです。
力のないやもめに神様は求めたのです。あなたの生活のすべてをこの男に与えなさい。わたしの願いに答えますか、わたしの願いを受け入れてくれますか?
福音書を読みます。
イエスは賽銭箱の前に座っていた。群衆が賽銭箱にお金を入れる。お金持ちがたくさん入れる。自慢げに、誇りをもって入れる。イエスは一人のやもめを見た。やもめは100円入れた。イエスは心を動かされた。イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。このやもめは誰よりもたくさん入れた。賽銭箱に生活費を全部入れた。神殿は祈る場所です。祈って祈って神様と出会う。そして自分を神様にささげるのです。 あなたにとって神様とは何ですか。祈りとは何ですか。やもめにとって神様のうちにいることが生活することなのです。
イエスは律法学者に気をつけなさいと言われる。律法学者の人々、あなたたちの信仰は何なのですか。あなたたちが覚えるほど読んでいる聖書はあなたのどこにあるのですか。あなたたちは生活に何を求めているのですか。神様のみ心を律法として学んだ。律法学者は神様の力強い道具ではないのですか。あなた方は神様のみ心に包まれ、命の喜びに生きるのではないですか。
今、あなた方は長い衣を着て、より誇りある姿で歩き回っている。先生として挨拶される。上席、上座に座ることを当然としている。やもめの家を食い物にしている。律法学者、あなたの信仰は何ですか。
今日、わたしたちはやもめ、親のない子供たちと律法学者を見ました。
あなたは神様とつながっていますか。
自分が何をすべきかを神様に聞く、心を神様に向けていますか。
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「諸聖人」(B年)説教
2015年11月1日・加藤 英雄師 |
今日は諸聖人を祝います。わたしたちのこの社会、地の国は天の国に包まれています。諸聖人はわたしたちを支えたくて仕方がない。諸聖人は天の国でわたしたちのために祈ってくださっている。わたしたちがよりよく信仰生活を送ることが出来ますように。わたしたちも天の国におられる聖人ために祈ります。
第二朗読:ヨハネの手紙を読んで思いました。 神様はわたしたちに、わたしに話されます。お前はわたしの子だよ。神様、わたしは善い事をしていない。聖人のように生きられない。神様は笑って語ります。今から出発しよう。わたしの言葉を思い出した時が、出発の時だ。イエスの姿に倣いなさい。イエスから与えられた道を歩みなさい。
福音書でイエスは聖人を語られていると思うのです。天の国を語られていると思
うのです。
イエスは山に登られた。山は神様の場。イエスは天の国からわたしたちの生活の姿を語られたのです。
貧しい人は幸い。
貧しい生活に苦しんでいる。あなたにとって貧しいとは何ですか。貧しい、何も持っていない。十分に持っていない。足りない。自分のしたいことが出来ない。貧しさに縛られている。食べることも出来ないのです。 貧しいことが寂しい事となってはいけない。惨めさになってはいけない。貧しさを知ったよ。体に響いているよ。体の苦しさを心が受け取っているよ。その出来事を受け止める。その出来事が自分に起こっている。全身で祈りなさい。神様、神様のために働きます。力を注いでください。働く者としてください。
悲しむ人は幸い。
自分の不甲斐なさを悲しむ。自分の不注意によって、自分の傲慢さによって人の心をえぐってしまった。苦しくて仕方がない。悲しくて仕方がない。また、こんな出来事があるかも知れない。子供が事故にあった。もう起き上がれない体になってしまうという。悲しい、どんなことをしても、起きてしまった出来事は戻らない。悲しい、悲しい。
悲しみなさい。苦しみなさい。思い起こし、悲しむ。その悲しみを十分味わいなさい。誰も慰めを与えられない。自分を見つめなさい。自分はこんなに小さい、こんなに弱い。自分を見つめる。悲しみから逃げてはいけない。
天の国は貧しさを知った人。悲しみを知った人の喜びの場です。貧しさから逃げなかった人、悲しみから逃げなかった人が、今、命を味わっている。貧しさを知ったから、悲しみを知ったから、神様からの豊かさを知った。自分の小ささ、弱さを知って、神様を知った。神様は父さんだと知った。父さんありがとう。
天の国は信仰の喜びのあふれる場。今、貧しい人、苦しんでいる人、悲しみのうちにいる人、あなたは自分のために考えることは何もないのです。そのまま貧しさ、苦しみ、悲しみを受け取りなさい。隣人が見えるようになった時、天の国が見える。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。
主の日が来る。
すべての人が裁かれる日が来る。天使によって刻印が押される。神の刻印が押された者は、神様の者になる。その者全部が神様の「いのち」の世界に入る。神様の栄光の交わりの中に入る。永遠の喜びを知る。 神様のみ心、み言葉を心に刻んでいますか。神様のみ心を行っていますか。神様の道具となっていますか。 いや、神様のみ心、み言葉を努力して、祈り込んで心に刻むのではない。努力して、祈りこんで善い行いを行うのではない。あなたの人を思う心、人にする行いを神様が受け取って、神様がみ心をわたしたちの魂に刻んでくださるのです。刻印を押してくれと頼むのではない。わたしのために働いてくれてありがとうと神様が刻印を押してくださるのです。
その時、着ている服が真っ白になる。その衣は羊の血で洗われて白くなった。白く輝くものとなった。
諸聖人に感謝。神様に感謝。
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「年間第30主日」(B年)説教
2015年10月25日・加藤 英雄師 |
イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に歩いている。
声を限りに叫ぶ声が聞こえる。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」
何度も何度も聞こえる。多くの人々が?りつけて、黙らせようとする。しかし、叫び続ける。
イエスは立ち止まって、あの男を呼んで来なさいと言われた。
イエスはこの男の声を聞いたのではないと思います。この男の思いを受け取った。
この男は主に向かって叫んでいる、主に求めている。恥も外聞もなく求め続ける。
その男の名はバルティマイ。盲人であった。バルティマイは毎日道端に座って物乞いをしている。そうでなければ金銭を得ることが出来ない。自分は社会の一員として働いていない。
人として大切にされていない。わたしの命は何なのか。この生活な何なのか。
イエスはバルティマイに言われる。「何をしてほしいのか」 「目が見えるようになりたいのです」
イエスはバルティマイを見つめる。バルティマイは「生きる」ことを求めている。今の生活には喜びがない。何も見えない。神様が見えない。自然が見えない。人が見えない。
イエスは言われる。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」
行きなさい…信仰の道を行きなさい、信仰の道を歩きなさい。
見つめなさい。神様を見つめる。自然を見つめる。人を見つめなさい。自分を見つめなさい。
今日、イエスはわたしたちに聞かれているのです。
あなたは神様に向かって叫びたい程の願いを持っていますか。
例えば、この社会を変えたい。変えたいから少しでも語り続ける。少しでも節制している。
毎日祈る。熱心に祈る。
「ほんじょ」に書きましたが、ある神父さんはロザリオの祈りが好きです。
毎日唱えます。ロザリオの環が真っ黒になるまで唱えている。
そのロザリオを失くしてしまった。
あのロザリオで長い間祈っていたのに。あぁ、ロザリオを失くしてしまったとぼやく。
ふと神父さんは神様のみ心に気づくの
です。
あなたの祈りはわたしに届いていない。あなたは自分の世界の中で祈っている。
あなたはロザリオの祈りに何を求めていたのですか。
自分の世界の中で祈るとは何か少し考えます。
わたしは今、ここで祈っています。神様、わたしの祈りを聞きに、ここに来てください。
わたしの願いを語りますから、ここに来て聞いてください。
神様は言われるのです。あなたは一体何者なのか。座っていないで出かけなさい。
出て行って、自然と出会う、人と
出会う。
自然とつながる、人とつながる。
自然とつながって祈りが生まれる。
人とつながって祈りが生まれる。
つながりの中で神様が働いてくださる。
今日、わたしたちはバルティマイとつながった。
またイエスとつながったのです。
バルティマイと一緒に、イエスに従って歩きます。
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